あいちトリエンナーレ2010 愛知芸術文化センター
あいちトリエンナーレの本会場とも言うべき充実したアートスペース。栄の駅前に美術館と大規模劇場があるなんて、名古屋市って意外と文化都市。認識不足でした。しかし、広場では市長のリコール署名集めの真っ最中。
10階の愛知県美術館には目玉となる草間彌生や蔡國強が広いスペースをとって展示されていました。三沢厚彦 + 豊嶋秀樹の動物シリーズも何がでてくるか楽しみになる展示スペース。
しかし、ジャン・ホァンの巨大オブジェは現代中国作家の既視感しか呼び覚まされなかった。また、フィロズ・マハムドの種子戦闘機は、現代政治のコンテクストを織り込んであるだけで、モノとしてのアート作品と概念が乖離しているように思えた。
このフロアで最大の見所は志賀理江子。暗めの部屋にパネルが床に直置き。でも、これって新作!カナリアの路線から外れていないが、日常の不気味さを切り取った作品がまだこんなにあったとは。たっぷり楽しめた。この部屋だけで1時間はいられる(しなかったけど)。
8階に降りて愛知県美術館の続き。
アマル・カンワルの言葉と映像のコラボレーションにしんみりした。ヤコブ・キルケゴールの流砂にしばし立ちすくんだ。宮永愛子の消え行くナフタリン作品は儚くも美しい。
このフロアで一番気に入ったのがソニア・クーラナ。パリだろうがニューヨークだろうがどこの道路にも横たわってじっとしている。道路に横たわっているのはホームレス?それともアートパフォーマンス?横たわるもの、それを見ているもの、見ていないもの、その映像をみている自分。それぞれの関係を考えてみる?
単純な行為なのだけどそれが喚起するものがこんなにたくさんあることに気づく。パフォーマンスはダンスではない、見る者に何を喚起するのかが重要であることを思い出させてくれた。
その後、11階と地下にも企画コンペ作品があったのでそちらも見学した。江幡京子の一人暮らしの高齢者の部屋はよかった。想像されるような悲惨さがなくて、むしろ凛とした空気があった。
その後、午後のチェルフィッチュまで時間があったので最後の会場の中央広小路ビルまで。これがなかなか見つからず、かなりさまよったが、例のピンクの案内人を見つけて助かった。
こちらは映像作品と砂糖菓子のインスタレーションなど。すべての会場を制覇できてほっとした。