アンデパンダンの時代、ピピロッティ・リスト、森万里子@東京都現代美術館
アンデパンダンの時代、ピピロッティ・リスト、森万里子@東京都現代美術館
都現美の企画展に行くと、いつもそれだけでぐったりとしてしまう。それで常設はいつも心ここにあらずという状態で観ることになる。
今回もトランスフォーメーション展でかなり尽き果たのですが、どうしても気になる展示があってランチ後に挑戦しました。
今回の常設はピピロッティ・リストというスイスのグループのビデオ作品からスタート。
これは柔らかい床に寝転んで天井を見る作品だったのでいい静養になりました。映像も女の子が草原をごろごろ転げまわったり、樹の幹にもたれたり。
そんなナチュラル指向の作家なのかと思ったら、次の映像作品は流血がテーマ?その隣の超巨大プロジェクタ作品は男性器の万華鏡映像。もはやどんな表現も受け入れるのみです(疲れているし)。
森万里子のビデオ作品はどうにも心に響かなかった。先に見たスプニツ子!を思い出すくらい。マシントラブルで聞こえないワイアレスヘッドホンもあった。レベッカ・ホルンのメカニカルな箱庭は終末の匂いがした。
山川冬樹の「Voice Over」は横浜国際映像祭でもじっくり見た。現代史を題材にしたサウンドインスタレーションとして見ごたえがある。何足も靴があったので沢山いるのかと思いきや…。これも演出?
今回のお目当ては2階でやっている「アンデパンダンの時代」。
読売アンデパンダンについてはよく巷間に上るが、もうひとつのアンデパンダン(日本美術会)についてのまとまった展示会はこれが初めてではないかと思う。
イデオロギーに満ちたパンフレットやスローガンが時代の空気を映す。アートを離れて戦後の文化風俗の視点から見るとこちらの方がしっくりくる。翼賛芸術から一足飛びに反芸術になったわけではない。
そんな時代の空気を反映するのが鶴岡政男「重い手」。抑圧と告発の形象が重苦しく打ち寄せてくる。
それにしてもアンデパンダンという運動をこのわずかなスペースだけで見せるのはムリだったというのが印象。代表的な作品と一部のアーカイブを展示するだけではあの「運動」と「時代」を伝えられない。
アートをめぐる状況だけでなく政治や風俗など社会状況を包括的にとらえたうえで、あの運動を位置づけるべきではなかろうか。いっそのことこの企画を千葉県佐倉の歴博と共同でというのはどうだろうか。
それでも「異端の芸術家たち」ゾーンだけは興味深く見た。
村山槐多の「欅」はくっきりとした折れ目があって、そうした保管状態の悪さが彼の生涯を思い出させる。
それにしても都現美の作品カードは他所にはない良いサービス。気に入った作品があったら資料を手元に持っておきたいからね。
あと、パンフレットの「異端の芸術家たち」セクションの<万>鉄五郎は<萬>でしょう。こうした誤字はちょっと恥ずかしいと思う。