万華鏡の視覚 ティッセン・ホルネミッサ現代美術財団コレクションより
万華鏡の視覚 ティッセン・ホルネミッサ現代美術財団コレクションより
(本レポートはアーティストユニットおよび美術教育プログラム活動団体「Play Art Laboratory 」の鑑賞会の報告として書いたものを一部書き直して投稿しました)
梅雨の合間の好天の日曜日。朝の六本木ヒルズは人が少なくてのどかな雰囲気でした。しかし、今回の鑑賞会は森美術館。ここの企画展はいつもそうなのですが、今回は「万華鏡の視覚」というタイトルどおり豪華絢爛で刺激的です。順を追って各作品で感じたことなどを気ままに書かせていただきます。
1.無題(ケリス・ウィン・エヴァンス)
2.終戦近いある夜に(ケリス・ウィン・エヴァンス)
最初の部屋は煌々と輝く作品の部屋でした。蛍光灯の列柱は荘厳な印象です。一方同じく発光する作品でありながらも「終戦…」はノスタルジックな印象でした。その文章は遠い過去のひとこまを思い出しているような、どこか内省的なものです。ある方が、「こちらの作品はちょっと艶めかしい」と言っていましたが、まさにその通りです。
私はアート作品の中で「言葉」を使うということについて考えさせられました。アート作品は、できるだけ想像の余地を広く持たせるべきだと思うのです。一方、言葉はある事象を規定し、限定するものでもあります。アート作品の中で言葉を使うと、作品の意味を限定することになる恐れもあります。しかし、この作品の内省的でありミステリアスな文章は、一般的なアート作品とは別の方向へ想像力を広げてくれます。
3.Y2003(カールステン・フラー)
最初に見たとき、これは派手な作品だなあと思いました。しかし、体験してみると随所に現代アートの仕掛けを取り入れていることが分かりました。まずは入り口の正面に巨大ミラーがあって、入り口の半ばで誰もが振り返って光の輪の中にいる自分を見たくなるのです。そして、通路の途中にY字路があって、右へ行くのか左へ行くのかを選択させられる。右の道にはやはりミラーがあって、そのY字路では左を選んで出口へ行くのか、右を選んで自らの姿へ向かって歩いて行くのかの選択となります。
この作品はともすればテーマパークのアトラクションのようなキラキラとしたものと受け取りがちですが、実は作品から「あなただたらどうするの」、「ここから何を受け取るの」と問われているのだと思いました。
4.映す物体(イエッペ・ハイン)
5.ゾボップ・ゴールド(ジム・ランビー)
ランビーのストライプは一見無作為に貼っているようですが、黒と金の取り合わせや、それぞれの線の幅などが悪趣味になったり沈んでしまったりしないように絶妙に配置されています。また、ハインの反射する球体はミニマルでありながらも、球体という形態が空間のすべてを取り込む可能性を暗示しているようでした。
今回の展示は作品と作品の対話がテーマなのでしょうか、ひとつの部屋に二つの作品が配置されていることが多かったです。この二つの作品はもっともそれを具体的に表していました。ストライプの床に球面の反射体。ゆらゆら自分勝手に動く球体の表面に映し出された幾何学的な模様はとてもスタイリッシュです。
6.グローバルドーム(ジョン・M・アームレーダー)
いくつものミラーボールが部屋いっぱいを埋め尽くす粒子の乱舞から人は何を感じるでしょうか。その場で話しあったことには、星空、水中、銀河系、血液の成分など、いくらでも出てきました。私は脳の神経組織(ニューロン)が外部の刺激に反応して神経伝達物質が移動するために連結したり分離したりする様子を思い浮かべました。
この部屋で一番よかったことは、そのようなことを声に出して語り合えたことです。普通は心で感じて自分ひとりで感動するアート体験を、その場で声に出して話し合うことはなんて大きなカタルシスになるのだろうかと感動しました。
7.投影される君の歓迎(オラファー・エリアソン)
偏向ガラスとスポットライトというシンプルな構成ながら多くのことを想起させる作品でした。私は壁に映る楕円形の光が人々の顔にあたる様子を見て、また自分にその光あたったときのまぶしい感覚から、灯台の灯りを思い出しました。人は灯台の光をなぜかじっと見つめてしまうものではないでしょうか。頼りない夜の航海を導いてくれる灯台に感じる安心感や頼るべきものという感覚を、船の操縦などしたことのない多くの人が持っているのは何故か、それは人間の根源的な感性なのか、などとこの作品を見ながら考えてしまいました。
8.LSDホールの噴水(クラウス・ウェーバー)
本当に分かりにくい作品でしたが、LSD水の噴水とブロックするガラス壁を見ればピンと来る人もたくさんいるのでしょう。社会的な問題意識を提起するのも現代アートの役目だと思います。しかもストレートに論ずるのではなく、この世界を理解する新しいやり方を提起するという方法で。その点で優美な形態の噴水と危険な化学物質の取り合わせは優れています。
9.触ること(ジャネット・カーディフ)
暗い部屋の中央でスポットライトに浮かび上がる使い込まれたテーブル。それに触れることによって背後の闇から聞こえてくるいくつもの声。ある方が今回の鑑賞会のハイライトと挙げていたのに納得!の作品でした。
私はこれにある映画を思い出しました。台湾の映画監督、侯孝賢の「悲情城市」は、ある家族の戦前から戦後、現代にかけての波乱万丈の歴史を描いています。その語り口は、おおむねつぶやくような声や遠い叫び声のように感じられます。それは歴史の流れの中で忘れ去られてしまった多くの個人の声のようでもあります。映画の中の家には使い込まれたテーブルや椅子がありました。それらはおそらくその家族の笑い声や諍いの怒声、嘆きの声や独り言などを聞き、記憶してきたのかもしれません。私は、もしそれらの家具が見知らぬ大都会に運ばれて来て、その記憶を吐き出すことができたら?などと夢想しました。
また、私は自分を部屋の片隅において、テーブルに触れる人々の姿をしばらく見ていました。その光景もまた素晴らしい映像でした。良い作品は作品を鑑賞する人々の姿も含めて画になるものだとあらためて感じました。
10.凍結された惨事の習作(ロス・カルビンテロス)
「凍結された瞬間」というものは、「マトリックス」など映画でもおなじみとなっていますが、これがインスタレーションとなって空間として体験できるのは全く別物でした。しかし、その派手な存在感のあとにさらに深い意味が徐々に浮かび上がってきました。
ある方が「ここにないものはなんでしょう?」と問いかけをされました。私は「この破壊を生じさせたものがない」と思いました。見えない巨大な鉄球が当ったのか? 何か高速なモノが衝突し、すでにはるか遠くへ通り過ぎてしまったのか、それとも誰かの意思の力がこの壁を壊したのか。
破壊された壁といえば911の巨大ビルの崩落、市民によって倒されたベルリンの壁などいろいろなことを思い出します。また、その破壊に引き続いて起きたことなども(米国のアフガン・イラク侵攻、冷戦の終結と今日の経済危機)。そこに無いものによって多くの想像力をかきたてるという作品です。
11.ジークフリート・マルクス著「天文写真術―写真現像の諸段階」(ケリス・ウィン・エヴァンス)
ベネチアングラスのシャンデリアでモールス信号を送る、しかもおおむね誰も興味を持ちそうもない記事の文章を。壮大で優美な造詣とナンセンスの作品に私はユーモアを感じました。エヴァンスはこのシャンデリアをアークヒルズの最上階の窓に置きました。まるでこの街のどこかで誰かがその信号を一生懸命解析する人がいることを期待するように。私は現代アートにはユーモアが欠かせないと思います。
12.人間の存在に関する問答(リュサ・サリン、テンジン・ソナム)
チベット仏教は米国にも欧州にも支持者が多いですが、もちろん日本にも好意をもっている人が多いのです。日本人のその感情は、たぶんお葬式のときにだけお世話になる現代のそれではなく、本来の仏教のあり方をそこに見るからではないでしょうか。おじさんも若い子もいっしょになって真剣にこの世のあり方について問答している姿は、「不毛」とか「徒労」という言葉がむしろ似合う現代社会で行われている討論とは違って、すがすがしさを感じさせます。青年僧侶の困った表情や笑顔が印象的でした。