信州上田 無言館・信濃デッサン館
ここへは長野新幹線の上田駅から別所線というローカル鉄道に乗って行きます。塩田町という無人駅で降り、美しい田んぼの間の一本道を歩き、平野を見渡す独鈷山のなだらかな斜面を少し登ってたどりつく小さな美術館です。
無言館は若くして戦没した画学生たちの遺作を集めた美術館。それぞれの作品に丁寧なキャプションがついており、いつ出征したのか、亡くなったのはどういう状態だったのか、作品はどんな時に描かれたのかなどが書かれています。
いずれも招集が決まってからは出征まで絵筆を離さず、かえって限り有る時間を精一杯使って作品に向かったとのこと。みな20代とか30代の若さで戦地で亡くなっています。涙なしには見られない作品群であり、主に高齢の訪問者たちのすすり泣きの声がそこここで聞かれました。
どうやら遺族がキャンバスを丸めたり折ったりして作品を保存しておいたらしく、絵の具が剥がれたり折り目がついてたりしている作品が多いのがまた、残された者の苦労を思わせます。
無言館からさらに徒歩で10分ほどの場所に信濃デッサン館があります。こちらには村山槐多、関根正二など若くして亡くなった昭和初期の画家たちのデッサンのコレクションがあります。彼らはその短い人生に密度の濃い膨大な作品群を残しています。
私はこれらの美術館の館長である窪島誠一郎の「信濃デッサン館日記」というエッセイ集を読み、彼の夭折の作家への思い入れに触れました。そして、その結晶であるこの美術館を訪れたくなったのです。
建物は周囲の木立に呑み込まれそうなほど古びています。コレクションもわざわざ見に来る人がいるのか、というような無名な作家のものです。しかし、ひとりの画商がとり憑かれたように集めた作品群とそれを収める建物には永遠の鎮魂とも言える落ち着いた空気が漂っていました。
隣接するカフェからは上田平野の青々とした田んぼが見渡せます。平原を渡る風が心地よく、ゆったりとした気分になりました。夭折の作家たちの魂が喜んでいるように思いました。