「大地の芸術祭」越後妻有アートトリエンナーレ2009
去年(2008年)の9月に農舞台の周辺とキョロロ周辺を見て来ました。それからオープン翌日に十日町と川西エリアをバスツアーでひとまわり。そして8月14日から2泊3日、レンタカーで回りましたが、それでもまだ半分くらい。もっときめ細かく回るにはあと3日は必要かもしれません。
私の「大地の芸術祭」体験を結論付けると「現代アート」よりも「里山と棚田の勝ち」。
ひとつの作品からもうひとつの作品へと移動するとき、また作品を探して農村の奥深くへさまようときも、圧倒的に印象に残ったのは棚田の美しさ、新潟の農村の美しさ、そして魅力的な地域の人々でした。
北川フラムは「現代アートの国際展」を日本の農村地域でやったのではなく、最初から「現代アートの国際展」をエサに世界中の作家やアートファンを引き寄せ、この地帯の魅力のトリコにするつもりだったのではないでしょうか。そしてそれは成功したと思います。
普通の国内旅行では、農村地帯というのはリゾートや温泉という目的地へと大急ぎで自動車を走らせるだけの単なる通過地点でしかなかったわけです。ところが「大地の芸術祭」では、お目当ての作家・作品を求めて地図を見ながら、農村のフトコロ深くへ入り込んでいくわけです。
そこには長年の豪雪に耐えた美しい艶のある民家や、心地よい木陰を作り出してくれる巨木のある神社、ひんやりとした風を乗せてくる融雪池があり、アートファンは日本の農村がこのうえなく美しいことに否応なしに気づくのです。
また、迷いながらクルマを走らせる農道に突然現れる棚田の風景。そよぐ碧い稲穂の波、その息をのむほどの美しさ。
そしてこれらの広大な棚田が人の手によって維持されていることにあらためて感じ入るのです。日本の自然の美しさは人の手によって維持されているのです。
そして、ようやくたどり着いた作品が廃屋にあるとすると、そこでパスポートにハンコを押してくれるのは地元のおじさん、おばさんであることも多いのです。アートに触れたら何か話したくなるのがアートファンの習性ですから、彼らとお話しすることは自然の成り行きです。
「ここに住んでいたんですか?」「雪の季節は大変でしょうね?」など都会のギャラリーとはちょっと違った会話がそこここで成り立つことになります。
私は三省ハウスに宿泊しました。ちょうどお盆の時期で、体育館で盆踊りがありましたので参加し、地元の踊りで汗をかいてから地元の方々とビールを飲みながら交流しました。また、「車座おにぎり」では新潟の米で炊いたおにぎりのふるまいのお返しに一芸を披露したりしました。
このように「大地の芸術祭」では、アート作品を求めて農村の奥深くに入り込み、棚田の景色にため息を漏らし、地域の人々と交流するという仕掛けを通じて日本の農村の魅力に目覚める人々を日々増やしているのです。
それは来場者に限らず、国内外の参加作家もこの土地のファンになるという人が多いと聞きます。(「こへび隊」が地域とのつながりを大事に思っていることはいうまでもなく)
「オーストラリアハウス」は地図上でもかなりの山奥で、国道からもかなり登った行き止まりのような場所にあります。オーストラリアという日本とはまったく異質の自然のある国から、作家はもちろんマネージメントスタッフが3ヶ月も滞在して作品の世話をするということでした。
農村地帯というのは「衰退する農業」や「限界集落」といった言葉で語られ、ネガティブに認識されることが多いのですが、「大地の芸術祭」はそれら農村地域へ新たな価値観を提示したのではないでしょうか。
それが農家への補助金や公共施設や道路建設への税金投入といった手法でなしに、「アートの力」によってであることに胸のすく思いがします。
「大地の芸術祭」は、もはや単なる「巨大な現代アートの国際展」という枠を超えたものなのだと思いました。
もうひとつの国内トリエンナーレである「横浜トリエンナーレ」が国の威信をかけた国家事業、公共事業としての国際美術展であり、参加作家、展示、イベントにおいて美術展としてのそれなりの形を求めらています。そして、組織委員会もボランティア活動をする市民もそれを忠実に実現しようとしています。
それに対して「大地の芸術祭」は、国際美術展というものがもっと大きな意味を持っているのではないか、「アートの持つ力」をどのように生かすべきなのか、深く考えさせてくれました。
(個々の作品については「投稿」しましたので、よければご覧になってください)