映画「シングルマン」
1960年代のLA。16年間連れ添ったゲイのカップルは死によってその関係を終える。そして残された者の終わり近い一日を描いた映画。
1960年代。
エイズ以前、
インターネット、携帯電話以前のアメリカ。
開放的な木造住宅。
シンプルなインテリア。
ツーシーターのベンツ。
きりっとしたシャツとスーツ。
「今日の君はすばらしいよ」
「ありがとうございます」という会話。
リカーショップの駐車場に並ぶ大型車たち。
そしてLAの夕焼け空。
遠い夢のような洗練されたスタイルがそこにある。
そのスタイルを、ファッションデザイナーでもあるトム・フォード監督は喪失した愛の物語を前景に心ゆくまで描ききる。私はむしろ、人間ドラマが背景にあり、スタイリッシュなセットや小物が前景にあるかのように感じた。
ゲイカップルのドラマであれば「ブロークバック・マウンテン」が思い出される。こちらは迫害さえありえた時代の禁断の愛を雄大な大自然を背景に描き、周囲の人々をも巻き込んだ重厚な人間ドラマだった。これに比べるとこちらはドラマとしてやや深みに欠ける。
唯一、時間の重みと故郷喪失の哀しみを担ったジュリアン・ムーアが、人間を前景に巻き戻すことに成功している。ほんの数分間だったが存在感があった。
しかし、この映画はむしろアメリカの失われた洗練とスタイルの時代を、哀しみをたたえた人間ドラマのたゆたう流れに浮かびつつ愉しむものではなかろうか。
アベル・コルゼニオフスキーと梅林茂の音楽が全編をセンチメンタルの湿度で満たしている。その音楽と映像に身も心も委ねて、失われた時代を回顧するという快楽を愉しむのがこの映画の正しい見方なのかもしれない。
ドラマとしては内容が薄くても、この映画はそれをはるかに超えた価値を持っている。