「日本の一番長い夏」半藤一利(文芸新書)
終戦当時、政権の中枢にいた者、一兵卒としてアジア各地にいた者、そうした戦争の「当事者」たち30人を集めて、終戦18年目の昭和38年に行われた座談会の記録。生々しくも目がさめるような戦争と生活の記録(アーカイブ)だった。
当時、外務次官だった松本俊一の発言。
「ただ一つソ連の参戦で幸いだったのはソ連もポツダム宣言に加わったということなのです(中略)ポツダム宣言とは別にソ連が日本に和平条約をつきつけてきたら非常に困ったことになるのに、幸い仲間に入ってくれた」
日本にはソ連の仲介による和平工作という大きな読み違えがあったが、ソ連にも読み違えがあったということ。抑留70万人という日本が失ったものはあまりにも大きいが。
国内外の一兵士の体験もそれぞれだった。
大岡昇平の抑留生活を挙げるまでもないが、岡部冬彦の「南の島に学童疎開したようなもの」「(小豆島は)空襲なしで呑気なものでした」という発言は、苦労のみがあったという戦時下のイメージとはかけ離れている。
また、池部良の「もともと兵隊には敵愾心なんかありません」、「眼の前で仲間がやられたときの条件反射があるだけ」、有馬頼義の「空襲だってアメリカがやっている気がしない、天災みたい」との感情の吐露も今日の兵士の心象としては違う。
後半は半藤と松本健一の終戦をめぐるテーマについての対談。
終戦時の内閣に鈴木貫太郎と阿南惟幾がいたというめぐり合わせの妙が興味深い。
また、「日本の終戦で幸いだったことは、政府というものが少なくとも存在したまま負けたことですね」、「ドイツもイタリアも政府が解体していたために、無茶苦茶なことになってしまいました」、という発言に、感傷ではなく実際面から見るとこうした視点もあるのかと感心した。
「もしクーデターが起きて、閣僚が全員軟禁されるか殺されるかして、それで軍事政府ができて、さらに戦争を続けたらどうなっていたことか」
その危機までほんのわずかだったことは半藤が後年書いた「日本のいちばん長い日」から明らか。戦後復興と高度成長を経た今日の繁栄は歴史の偶然に依っている。
ちなみに今年の夏に映画とドラマになったものは、松平定知、富野由悠紀、鳥越健太郎、島田雅彦、田原総一朗らによる文士ドラマとして見ごたえがあった。
御殿山の料亭「なだ万」の大広間に、元閣僚から一兵士までを一同に集め、料理を食べながら5時間にわたっての座談会。オーラルアーカイブにはインタビューアーも大事だが、場と空気も重要と認識した。