https://www.momat.go.jp/exhibitions/451
「エモーショナル・ドローイング」@近代美術館
このところ毎週横浜通いだったけど、今日は完全フリー。それでチケットもらっていた「エモーショナル・ドローイング」@近代美術館行ってきました。
竹橋なら問題なく自転車圏内、なので北の丸公園を横切ってオゾンを呼吸。気持ちよかった。
ドローイング中心の展示なんだけどビデオあり、インスタレーションありで予想をはるかに裏切って楽しめる内容でした。
ドローイングって言ってみれば完成作品を作るためのスケッチ。考えていることをささっと描くわけで、筆記具と紙って最も作家の感性に近いものかも。
アマル・ケナウィ(エジプト)
今日の最大の収穫。ビデオインスタレーションなんだけど博物館によくあるガラスケースの向こう側にスクリーンがあって、こちら側からプロジェクターで投影している。画面が暗くなると観ている者がガラス映る。ガラスに反射した映像が後ろの壁に薄く映る。プロジェクターの空間性を生かした素晴らしい作品。
アヴィシュ・ケブレザデ(イラン)
これもビデオインスタレーション。手書きアニメで子どもの頃の夢とまぼろしを表現している。幼児の頃の家族と一緒にいることの幸福感を感じた。
キム・ジュンウク(韓国)
瞳が印象的な抽象的な肖像画。
ピナリー・サンピタック(タイ)
メモ帳に描かれたドローイングが一枚ずつ小箱に入れてある。小さなものの宝物感覚が伝わってくる。
奈良美智(日本)
またまたGRAFとともにかわいい制作小屋を作ってくれました。好きなレコードが立てかけてあったり、音楽がラジカセで聞こえてきたり。小さなベッドもあって。魔女の宅急便のウルスラの森の小屋を思い出した。
今日の体験で映画映像とアート映像について考えてしまいました。
資本主義の原則は最小資源による最大利益の追求。だから映画ってどこの映画館でもいつ上映しても同じように見えなくてはならない。
一方、アートは一回性の体験を提供するものだと思う。来場者が来たその日にその空間で受けるそれぞれの体験を大事にするもの。
だから勅使河原三郎がパフォーマンスを公演としてやるときは、できるだけ大きなホールで客席すみずみから見えるようにステージを作る。でも横トリのは、客席わずか10くらい。入れ替え制でもないのでずーっといてもいい。だから待ちの行列が延々と。多分運良く観ることができてもがっかりという人もいる。でもその「いらいら」とか「がっかり」も含めた体験を提供するのがアートかと思いました。
その「うれしかったり」「がっかりしたり」のただ一回の体験を求めて、アートファンは作品があるところへ足を運ぶんじゃないだろうか。
常設展を見てから楽しみにしていたレストラン「クイーンアリス・アクア」でランチしてきました。白いクロスがかかったテーブルで皇居の緑をながめながらチキングリルとワイン。
しかし、注文したのが「ハーブチキングリル」(ハーブで育てたチキン)かと思ったら「ハーフチキン」だった。丸鶏半分ですよ。フレンチとは思えないあまりの巨大さにびっくりした。もうナイフとフォーク使ってられないので手づかみでいただきました。
お店の人に聞いたら名物なんだって。みんな大きくてびっくりするらしい。でも味はよかったです。