Yebizoラウンドテーブル「映画/映像/風景論―1960年をめぐって」@第3回恵比寿映像祭
Yebizoラウンドテーブル「映画/映像/風景論―1960年をめぐって」@第3回恵比寿映像祭
若手の映画研究者、平沢剛のモデレーションによる、1960年代の日本の映像文化をめぐるシンポジウム。ゲストはオーストリアの映画研究者、ローランド・ドメーニグと詩人の松井茂。
平沢は西欧で日本映画が見直されていることに触れ、1960年代の映画製作環境としてのATG(日本アート・シアター・ギルド)の再評価を訴える。
また、大島渚による「絞首刑(1968年)」の予告編を上映し、運動としての映画制作・映画鑑賞についても言及した。
ローランドはこれまでの映画評論や映画研究が劇映画というごく一部(氷山の一角)に限られており、ドキュメンタリー、自主制作、ピンク映画、テレビ映画、教育映画、PR映画などについても意識する必要があると述べる。
特に岩波映画が後年多くの人材を輩出したことに触れ、黒木和雄の「とべない沈黙(1966年)」の一部を上映した。
松井は「東野芳名のテレビ的な…」と題して、アートとテレビの関係について国内外の事象を紹介しつつ、両者の関係性について問題提起する。
「テレビ番組とCMの関係はコンバインである」、「アンディ・ウォーホルのジャッキーはテレビ画面で見るために作られた」などとした東野芳名の記述を引用した。
いずれも興味深い議論であった。
私はアートアーカイブに関心があって、これに関する議論にはそれなりに触れてはいるのだが、こうした1960年代の実験映画という極めて限定的な分野についての研究に関わっている人がいるとは知らなかった。
それに、シンポジウムが100名ほどの会場がいっぱいになる盛況であることも驚きだった。来場者はいずれもリアルタイムでATG映画など見たことがないだろう年代ばかりだったが。
先日の慶應アートセンターによるシンポジウムも、かなりコアな研究分野だと思ったが、これは美術史の一環として議論できる分やりやすいのかもしれない。
今回のテーマは映像史とか映画史という、まだ歴史の浅い分野におけるさらにマイナーな分野の研究である。これを文化史のなかに埋没させず、独立した一分野として確立させるにはかなりの苦労がありそうだ。
ただ、その時代の映画製作に実際い関わっていた方々が会場に来て発言していたが、このようにまだ存命の当事者がいることが大きな力になるようだろう。