みえるもの/みえないもの@豊田市美術館
以前から行かなければと思っていた豊田市美術館に行ってみた。歴史のある工業地域の富の蓄積が芸術・文化を継続的に支えていることが分かる施設だった。
「みえるもの/みえないもの」は収蔵品による企画展。ミケランジェロ・ピストレット、クリスチャン・ボルタンスキーなど各地のビエンナーレ・トリエンナーレでおなじみのベテラン作家から、川内倫子、志賀理江子など国内の若手もありで手堅い展示だった。
企画展なしでもこちらだけで十分楽しめる。地元にこんな美術館があれば楽しいだろうと思った。
志賀理江子の「カナリア」に再会できた。今回の展示は大判のインクジェットプリントをピンで留めただけ。端っこがすこしめくれ上がっているのも雰囲気がいい。ヨコハマ国際映像祭では高解像度プロジェクタで高速スライドショー、森美術館ではパネルをイーゼルに立てて、あいちトリエンナーレでは暗い部屋にパネルを床置き、赤々舎の書籍ではプリントを手貼りと、彼女はいろいろな方法であの映像を表現している。こうした展示方法へのこだわりも素晴らしいが、繰り返し見てもあの映像はかわらない衝撃を与えてくれる。
ソフィ・カルは断片的に見たことがあったのだが、「盲目の人々」でようやくまとまった作品を見ることができた。これは生まれつき盲目の人々に「あなたが考える美とは何ですか」という質問の答と、その答えに関連する写真を配したもの。展示自体は本人のポートレート、そのテキスト(フランス語)、関連写真の3点セットが20数人分、壁に高く、低く設置されている。鑑賞者はテキストの日本語訳のボードを持って1セットずつ見ていく。
作品は、そのテーマも伝える内容も興味深く見応えあったが、私が特に考えたのは編集という行為の作品化ということだった。テーマを考え、それを取材し文章を書き写真を撮る。そうしたら雑誌や書籍として表現することが普通だろう。しかし、それをアート作品としてホワイトキューブで表現することも選択肢のひとつである。この作品は「編集もまたアートである」ということ認識させてくれた。