東京国立近代美術館所蔵品目録「戦争記録画」@東京国立近代美術館アートライブラリ
近美常設のあとレストランに行こうと思ったら行列。なので以前からの興味を解消するためにアートライブラリへ。
近美には153点の戦争画がある。これは大戦中に日本の美術家が戦争協力のために描いたもの。戦後GHQによって接収されたが、1970年に無期限貸与という形で日本に返還され、それ以来近美に収蔵されている。
この収集については瀬木慎一の「日本の前衛 1945-1999」に詳しい。その153点の作品リストはこちら。
戦後、美術家の戦争協力が社会的に厳しく指弾されたことはよく知られている。そうした経緯があり、これらの発表は作家個人や国内美術史に差し障りがあるのだろう。またアジア各国への配慮もある。
それでこのコレクションによる展示会は戦後一度も開かれたことがない。
私は制限された状況にあった美術家が、条件付きでそれを許されたとき何をしたのかに興味がある。そして、展示会によってそれらが一堂に会したとき、総体としての彼らの行いが見えてくるのではないかと思っている。
それで、展示会をいつかは開いてくれないものかと期待しているのだがその兆しはない。
なので、とりあえずすべてのコレクションの内容を把握してみようと近美の収蔵品目録をチェックすることにした。
アートライブラリの受付で相談したところ、目録以外に記録写真のプリントがあった。
全体をざっと見渡して分かったことは日本画が少なくないこと。また、空戦や海戦を俯瞰したものなど明らかに空想で描かれたものに挿絵風の画風があることも目についた。
上記の瀬木慎一の著書には、美術家の戦争協力ばかりが責められるが、挿絵画家の活躍にもめざましいものがあった、と皮肉まじりに書いてある。
確かに美術家がその矜持を踏み越えるより、コマーシャルアートの出自である彼らのほうが心ゆくまで勇ましい映像に絵筆を振るえるだろう。
さて、このコレクションの中には異質な画風を持つ作品があった。
鶴田吾郎の「義勇隊を送る高砂族」。
タイトル通り台湾の高地民族が日本軍に送り出す義勇兵を見送るひとコマなのだが、霞と光に包まれた幻想的な映像である。これが戦争画とはにわかに思えないほど現実離れしている。
彼は「神兵パレンバンに降下す」など典型的な戦争画を描いているのだが、こうした叙情性にあふれた作品も描いたのかと驚いた。
もうひとつは鈴木亜夫の「ラングーンの防空とビルマ人の協力」。
キリコやダリ、マグリットを思わせる、明らかにシュールレアリズムの影響を受けた画風である。戦時中のシュールレアリストはすべて福沢一郎のように迫害されたのかと思ったが、うまく大政翼賛にすべりこませたものがあったことが発見だった。
それにしてもどの作品も巨大で綿密な作品が多い。これをそのまま展示すると今日であっても戦争賛美のメッセージのみが大きく伝わることになりそうだ。竹橋というよりは九段下の方が適しているような。
もし今日、これらで展示会を作るとしたら、その作家の前後の作品も並置するなどの工夫が必要かもしれない。やはり、これまで展示会が実施されなかったのも無理からぬと思った。
しかし、個々の作品としては心ひかれる、実物を見たくなるものが多い。