ヨコハマトリエンナーレ2011(横浜美術館会場)
横トリ2011の参加作家数は合計79名。2001の109名、2005の86名からは減少だが、2008が65名だから微増というところか。しかし、満足度やイベントとしての展開からするとかなりのダウンという印象。
横浜美術館会場では多くの作品がホワイトキューブに行儀よく収まってしまったが、田中功起が美術館の備品をかき集めて配置した「美術館はいっぺんに使われる」で愉快に秩序を破壊してくれた。雑多な什器に挟まれたソファでビデオを見るのが妙に居心地よい。
この会場で最も満足度の高いのが、黒いY字路の油絵で埋め尽くされた横尾忠則の部屋。圧倒された。左の路も暗い、右の路も暗い、かといってあなたはここに立ち止まっているのですか、と現代の日本社会に生きる私たちに問いを突きつけているようだった。
今回の横トリでは横浜美術館収蔵の作品をところどころに散りばめているが、その中では工藤哲巳の1974年の作品が昏い輝きを放っていた。しかし、展示場所が寒々とした廊下じみた場所だったのが残念。荒木経惟の部屋を収蔵作品で埋めるのなら工藤の作品をもっといい場所に置けばいいのにと思った。
ミルチャ・カントルのビデオ「幸せを追い求めて」は人生が徒労であることを軽やかに笑い飛ばしてくれている。女神たちが人間の営みや文化の蓄積を次々と掃き消しているようだ。
杉本博司の部屋は空間構築によるストーリーテリングが満喫できる。小さなスペースなのに空間としての完成度が高い。キャプションを読みながら楽しむものなので空いてる時間帯に行くのが良いと思う。
この作品に限らず今回の会場はキャプションが充実している。むしろ饒舌すぎるくらい。2008ではキャプションにタイトルさえもなかったが。
ところで、国際展とは現代という時代の反映でなければならないと思う。そして国際展のテーマはディレクターがこの世界をどう見ているかというマニュフェストでもあると思う。2008の「タイム・クレヴァス」は現代の国際展における時間の裂け目に注目するべきだという意味だった(「ゲームの規則」から)。
今年の「OUR MAGIC HOUR」は魔法の時間に注目しましょうという意味だと思うが、現代という時代に魔法の時間を追求するべき時と解釈することに私は違和感がある。湯本豪一のお化け映画ポスターにスペースを割くのなら現代という時代に正面から向き合った作品が欲しかった。
2008ではBankART会場に数点のR-15作品があった。当時それは賛否両論あったが、現代のアートシーンを反映させるためには必要なことだったと思う。
来場したすべてのお客さんが満足して帰るような展示会がいい展示会なのか。むしろ納得いかなかったり、腹をたてて帰るようなお客さんが数パーセントいるくらいの方が忘れられない展示会になるのではないか。どこにもエッジのない今回の展示会場を見てそう思った。