印象派の行方―モネ、ルノワールと次世代の画家たち|プレスリリース|ポーラ美術館
印象派の行方 モネ、ルノアールと次世代の画家たち@ポーラ美術館
ポーラ美の目玉はモネの「バラ色のボート」(1890年)「国会議事堂 バラ色のシンフォニー」(1900年)とルノアールの「水浴の後」(1915年)だと思うので、毎回の企画展ではそれをどこに配置するのかを楽しみにしている。
それはそれとして、本企画展で展示されている印象派とそれ以降の作品すべてが収蔵という、相変わらずの充実したコレクションに目を見張った。
本展示はとにかく勉強になる。19世紀末のフランス美術状況、モネとルノアールの印象派展の発展と分裂、先の2者に加えてセザンヌら中心メンバーのその後の変遷、フォービズムなどへの発展が名画群とともに手際よくまとめられている。温泉地の暇つぶしと思ったら大間違いの本気の美術教育である。
いずれも教科書で見たことのあるような名画がそこら中にあるのだが、あらためて本物を見ると興味がかきたてられる。
例えばセザンヌの「アルルカン」(1888-1890年)はどうして頭頂部とつま先がフレームアウトしているのだろう。他の作品はこうした不手際のない安定した完成度なのに、これだけが妙で落ち着かない。だが、その分記憶に残る。誰かがミステリー小説でも書きそうだ。
それにしてもモネの「ボート」は何度見ても素晴らしい。これが日本にあることの幸せをかみしめた。水中にゆらめく藻がうねる画面と、それをつらぬくボートとオールの構図。人物の顔の向き、その人物が水面に反射しているという視点誘導。この大きなキャンバスを前にすると翻弄される感覚を覚える。今日になってもこの映像表現を超えるものはないと思う。
ところで、ルノアールの「裸婦」(1915年)を見て、その色によって執拗に輪郭を作る形跡にちょっと怖くなった。ゴッホやゴーギャンは筆一本で輪郭を描いて良しとしてるのになあ。そうなると、ルノアールの色彩は絢爛というよりも迷った結果という見方もあるかもしれない。
そうすると色彩への思い切りがないのでルノアールの風景画は中心のない、退屈なものが多いのか。並べて展示されていたボナールの「地中海の庭」(1917-1918年)のたくみさな色彩構成と比較するとかわいそうなくらいだ。
マティスとルノアールの関わりのゾーンがあった。展示された作品を見るかぎり、後年、単純化を志向するマティスには影響しなかったようだ。それはそれとして「紫のハーモニー」(1923年)と「中国の花瓶」(1922年)の壁紙に「ダンス」らしきモチーフのパターンがあったのに興味がかきたてられた。
最後の壁にあったピカソの「母子像」(1921年)には感動した。太い腕、大きな指、小さな肘掛け、きゅうくつな構図。それに対して母の豊かな肉付き、子どもの丸い手足。部分のアンバランスさがかえって全体の幸福感を高めている。これも日本にあってありがたいとつくづく思った作品だ。
こうしてある作品を繰り返して見るために、わざわざ遠方を訪れるという旅があるということを思い出させてくれた。