恵比寿映像祭2012「展示」@東京都写真美術館
今年の恵比寿映像祭の展示では、ウィリアム・ケントリッジの新作を除いては見るべきものがなかった。
ケントリッジの「アザー・フェイシズ」(2011年)は、人間同士の対立をテーマにした描いては消しの跡が生々しい作品。しかし、彼の他の作品のように人間同士の共感への希望もある。彼の近美での大規模個展を思い出す。
スタイリッシュな映像ですばらしい美術館建築を撮影したサラ・モリス「線上の各点」(2010年)は実験的映像の多い展示会場でほっとできる作品だった。
実験的映像といえばユリウス・フォン・ビスマルク「ザ・スペース・ビヨンド・ミー」(2010年)が最も先鋭的だった。円形の部屋の壁に蓄光素材を塗布して、中央に置いたプロジェクタ(フィルム映写機)が映像を投影するとその跡が壁に残る。観客は壁にそって並び、回転、移動、ズームする映像をよけながら映像とそれが残す跡を鑑賞する。映像を鑑賞する空間とそれが残すもの、消え行くものを意識させられる鑑賞体験だった。
スペースシャトルの打ち上げ映像を巧みに編集したヨハン・ルーフの映像は幻惑的映像体験。何度も見たような映像なのに、そこに死と再生が見える。外部燃料タンク(最も大きな部品)の先端にあるカメラからの映像なのだろうか、それがパラシュートで着水するときには自分が帰還したような気持ちになる。
前沢知子「石/枝/草、ノルウェー ノールカップ/フィンランド イナリ」(2011年)は何という事もない組み写真なのだが、後ほどトークイベントに参加して、その意図が分かったような気がした。別の作品だが、前沢はこども参加のワークショップによって描かれた作品をパネルにし、美術館に展示するという作品があるとのこと。そうした行為を通じて、作品とは、映像とはという問いかけをしているらしい。
彼女は今年のVOCA展にも出品するらしく、自分で描いていない作品がここに出品されるのは初めてということ。興味深い取り組みだと思う。
全体的には昨年の展示と比較すると満足度は低かった。しかし、恵比寿映像祭は数少ない成功している映像専門のイベント。これからも期待している。