所沢ビエンナーレ「引込線」2011
前回展はタイトル通り本当に西武鉄道の列車工場での展示だったが、今回は名前だけ受け継いで、会場は学校の体育館と給食センター。しかし、作家主導の展示会らしい凛とした空気は変わらず。
キュレーションの介在しない展示会というのはこんなに清々しいものかと、新鮮な感動を受けた。近頃では美術館ではもちろん、個展でもキュレーションや文脈の設定が前景にあるものが多く、やや辟易としてきたもので。
所沢生涯学習センター会場。
タムラサトルのメカニカルな回転旗も橋本聡のコンセプチュアルな作品も、作風は違えど「自らの作品を淡々と見せる」という作家としてあたり前のことをしている感が伝わってきて、その点では共通していた。都現美のホワイトキューブではポップでキッチュな印象だった冨井大裕も、ここでは削ぎ落とされた印象。
前回展で気に入った伊藤誠の水平線マスクがあった。今回は実際に装着して歩くことができる。ローテクながら驚愕の異次元体験。テクノロジーが先に立つメディアアーティストのお手軽さを思い出してしまった。
所沢給食センター跡会場。
横トリ2011の会場では窮屈そうにしていた戸谷成雄が、食品工場のタイル張りの上で異質の輝きを放っていた。また、前野智彦の彷徨う磁針も、清岡正彦の暗い駐車場の舟もよかった。
中崎透が工場の雑多な設備を積み上げて迷路を作り、現代的なメッセージを発信するインスタレーションを展示している。横トリ2011で田中功起が同種の作品を展示しているが、場所のオーラをより多くまとっているのは中崎だった。
両会場を通じて最も迫力があったのは田中七星の膨大なスケッチ・ドローイング。ホセ・レガスピが東南アジアにおけるキリスト教のトラウマを背負っての悪夢のドローイングを描いたのに対し、田中は現代の日本社会の、おそらくこの国で女性であることのそれを背負っているように感じた。
岡崎乾二郎による、原稿用紙が収められた木のトレイが置かれた部屋の凛としたたたずまい!この一枚ずつめくることのできる作品は低気圧の重い空気をきっぱりとはらうようだった。
この岡崎の作品がこの展示会の気分を端的に現しているように感じた。いずれの作品も地に足のついた、しっかりとしたもので、見ていてすがすがしい気分になった。