所蔵作品展「近代日本の美術」+緊急企画「特集 東北を思う」@東京国立近代美術館
所蔵作品展「近代日本の美術」+緊急企画「特集 東北を思う」@東京国立近代美術館
評判のパウル・クレーには目もくれず常設フロアーへ。今回の常設では「特集 東北を思う」として東北に関わりのある作品をところどころに配置させている。対象作品には薄い青のパネルがあってよく分かる。
この時期の常設は夏らしい作品が多くて気持ちいい。
「海」(1929)といえば古賀春江。「都市のなかの芸術家」ゾーンで屈託のない水着の大正ガールに再会。また、大沢昌助の「岩と人」(1940)は岩場の海が舞台。厳しい表情の少年たちと赤いワンピースが好対照。まだ残るアートの自由な息吹と近づく戦争の足音がひとつの画面に収まっている。
このゾーンには北脇昇の「空港」(1937)もあった。シュール作品によくある原野は日本では砂浜につながるのかもと思った。同じく浅原清隆「郷愁」(1938)の狂気をはらんだ暗い浜も涼しげ。この作品はたしかポーラ美術館で見ているのだが、やはり暑い夏にひんやりとした美術館で見るのが適している。
その隣りのゾーンは海老原喜之助の特集。この方の作品は初めて見た。
最も印象的だったのが聖人のサン・セバスチャンを題材にしたという「殉教者」(1951)。ルネッサンス期に描かれた聖セバスチャンはいずれも宗教的ロマンチシズムに溢れているのに対し、海老原はこれを排し、強いマチエールでシンプルに描いている。制作時期からすると、戦争の意味を問い直すという意味があるのだろう。誠実な作家だと思う。
彼に限らず1950年代の日本の作品はいずれも精神性が興味深い。こうして知らなかった作家をあらためて教えてくれるので近美の常設は通わざるをえない。
写真ゾーンでは石元泰博「桂」を堪能した。桂離宮は死ぬまでに一度は行きたいものだ。
あと、毎回お楽しみの戦争画は藤田嗣治の「サイパン島同胞臣節を完うす」(1945)。
これに会うのは3回目だが、やっぱり迫力が尋常でない。左側でライフルを構える兵士は既に失明しているのでは?などとじっくりとドラマを楽しんだ。
それにしても暑い夏にこの作品とは学芸員にはどんな意図が?私なら鶴田吾郎の「義勇隊を送る高砂族」(1944)が涼しげだと思うのだが。
写真がもうひとつ。奈良原一高の「王国」(1956―1958)があった。
トラピスト修道院と和歌山の女性刑務所で撮影されたもの。どちらも外界と隔てられた世界だが、自らの意思で外界と遮断することと、社会的理由で遮断されることのコントラストを写す。展示されたのは作家自身によるオリジナルプリントとのこと。写真にとってオリジナルプリントとは、と考えさせられた。
エミコ・サワラギ・ギルバートはやはりここの「空虚の形態学」で出会った。先日見た椛田ちひろに既視感があったのは彼女のせいだった。
最後に大岩オスカールの「ガーデニング(Manhattan)」(2001)に再会。感激。大岩の作品はいずれも大きくて気持ちがいい。この作品は角田光代「ツリーハウス」の表紙になった。
2階のギャラリーでは「路上」という企画展。パンフレットのテキストを慶應アートセンターの上崎千が書いていたことを発見。またそのデザインを森大志郎がやってたことにも。どちらも相変わらず尖っている。
パウル・クレー人気のおかげでレストランを待つことになったが、定番のハーフグリルチキンとワインでお腹も心も大満足。