映画「無常素描」
「9月11日」も早かったが、こちらも震災1ヶ月目に現地入りし撮影、3ヶ月後に上映と素早かった。それでもこれはテレビのスペシャル番組ではなく、れっきとしたドキュメンタリー映画である。
ナレーションも音楽もなし。ひたすらあのガレキの平野と被災者の声で、あの時期のあの場所の空気を映像に定着させている。
被災者の声を聞いていて思うのは、あたりまえの事だが、生存者は語り、犠牲者は語らないということ。そしてこの映画のどの人にも不在の人の影がまとわりついているようだった。この映画はそうした不在の存在をしっかりと映していた。
映画の中で玄侑宗久がタイの竹の橋を例に「壊れないものを作ろうとすることは不毛ではないのか」(記憶の再現なので不正確)と語っていたのが印象的だった。
そして、「大きな津波が来たので、今度はその津波にも負けないくらいの立派な防波堤を作ればいい」という考えの不毛さに気づくのに、これだけの犠牲が必要なのかと寒くなった。もちろんまだそのことに気づかず、昨日と同じ明日が続くと思っている人も多いが。
思えば震災復興会議の提言で、災害を封じ込めることではなく「減災」が指摘されたのは、好意的に解釈すればこうした被災地の気分に触発されたのかとも思う。
ラストシーンが渋滞の高速道路だった。これまでの日常が続いている首都圏の気分を象徴していた。この映画を見終わったら、そうした日常を直視することが苦しくなっていた。