画家たちの二十歳の原点@平塚市美術館
近代以降の国内作家の20歳前後の作品を集めた企画展。アイデアとスタッフの熱意で素晴らしい展示会になった。平塚以外の巡回展もまわりたい。
入り口近くに萬鉄五郎の盛岡時代の作品が置かれているのは震災の鎮魂のためか。彼の「雪の風景」は雪景色に淡い色を散らして「裸体美人」のフォービズムからは想像できない繊細さだった。
私にとって、この展覧会のハイライトは村山槐多と関根正二。
村山の「のらくら者」は、早熟な天才らしく20歳らしからぬデカダンスをただよわせている。彼はこうした人生の屈折した歓びというものを知っていたのだろうかと哀切の情を誘う。
関根16歳の作である「死を思う日」は冥い色彩と不気味な草原の表現で、彼の当時の心象をうかがわせる。そんな作品を入選させる二科展の選考も大したものだと思った。
この展示会では作家ごとに、その作家の文章や言葉を抜き書きにしたものと、作家の略歴をキャプションで掲示してある。その抜き書きは、作家の20歳の時期にちなんだものであり、これが読み応えがある。
こうして全国の収蔵品から各作家の20歳前後の作をリストアップし、それにちなんだ文章を探し出した学芸員の仕事に頭がさがる。企画アイデアと徹底したリサーチによって、繰り返し見ている作品でも新鮮な視線で提供出来ることを目の当たりにさせてくれた。
この展覧会のカタログがこうした構成に基づいて編集されており、読み応えがある。当日は手持ちがなく買えなかったが近日中にアマゾンで購入したい。
今回発見した作家では河野通勢がよかった。大正・昭和のキリスト教徒らしくユートピアとしての田園生活を描いた「裾花川の川柳」は、その牧歌性をすみずみまで楽しめる。
また、マヴォの作家である柳瀬正夢の小品「川と橋」の、奇跡のような夕暮れの輝きにしばし釘付けになった。
有名作家では猪熊弦一郎の「少年」。全裸の足萎えの少年はその線の細さに関わらず決して脆弱には見えない。地面を指す細い指が再生を予感させる。20歳でこの象徴性の高さとは!
松本竣介は小品が2点ほどあり、これを見ていると神奈川近美にある「立てる像」の凛々しさを思い出した。若くして聴覚を失い、36歳で夭折という人生だったのだが、そうした作家の感性が時代を超えて伝わるということの不思議さを思った。
現代では横尾、O JUN、会田、森村など現役作家がいるのだが、彼らの20歳の作と思うと観ているこちらが恥ずかしくなってくるのが不思議。ここらはあまり立ち止まらずに過ぎた。
それにしても近代の作家の多くが36歳前後で亡くなっている。当時の画家の人生の過酷さをあらためて思った。