石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行 東京都府中市ホームページ
石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行@府中市美術館
石子順造は1970年代にマンガ批評などで活躍した評論家だが、美術館で評論家についての企画展とはめずらしい。しかし、これは現在からあの時代を見据えた好企画だった。以前見た「多摩川で/多摩川から、アートする」もそうだったが、この美術館は年に1回は刺激的な企画展をやってくれる。
最初のゾーンには池田龍夫、中村宏、横尾忠則、高松次郎など石子に関わりのある作家の作品がある。石子といえばガロなどでマンガ批評をしていたのが記憶に残っているが、前衛美術とこんなに関わりがあったとは知らなかった。
さらにその奥には「トリックス・アンド・ヴィジョン展」の作品がある。これは1968年に東京画廊と村松画廊で行われた美術展で、石子が中原佑介とともに企画したもの。当時の前衛美術で最先端と言われた美術展らしく、今日でもその様子は伝えられている。それに展示された作品がここに一同に会し、その展示会場が再現されているのは壮観だった。
次のマンガゾーンでは、石子がこだわった当時のマンガをいくつも手に取ったり読んだりすることが出来る。つげ義春「ねじ式」の原画が暗い展示室のガラスケースに大事そうに展示されているのは、読み捨てられるのが宿命のマンガの展示方法としてどうなのかと複雑な気持ちになった。
かといって当時のマンガ雑誌が天井からワイヤーで吊り下げられて勝手に読めるようになっているのも、古本として貴重なものの扱いとしてどうなのかと、これまた複雑な感じを持った。
いくつか林静一の作品があり、久しぶりに読んでみた。やっぱりこれはマンガ表現の完成型としてもっと評価されるべきものだと再認識した。また、彼の最初のアニメーション作品である「かげ」をブラウン管テレビで見ることができた。これも貴重な体験であった。
最後のゾーンでは観光地のペナント、食品サンプルなど、石子のこだわった懐かしくもキッチュなものたちが楽しめる。ボウリング大会のトロフィーなんて誰が喜んだんだろ、というものもある。懐かしかったのが日光写真。この感光紙と型抜きとボックスのセットは雑誌の付録だったと思うが、私はこれをうまく感光できたためしがなかった。
このゾーンの展示物は新たに収集されたもののようだが、たしか千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館にもこの種のアイテムの膨大なコレクションがあったような気がする。
石子展と同時開催の小山田二郎展も興味深かった。顔の病気によるコンプレックス、高齢になってからの不可解な失踪など、作家のドラマチックな人生など思い出さなくても、「顔」「鳥女」など異形のモチーフと傷だらけのキャンバスには引き込まれる。長く描きつづけた作家の生涯展というのはいつでも見る価値がある。
常設展の入り口近くに2点だけあった植竹邦良の「人形の行く風景」(1969年)「最終虚無僧」(1974年)に思わず立ち止まった。どこか立石大河亞を思わせるこの方の作品はどこかで見たことがあるのだが思い出せない。
同じ壮大な空想の風景を描いても立石の作品にはどこか牧歌的な雰囲気がただようが、植竹の作品には狂信的な方向性がある。見るものはその行く末をみとどけなければならない気持ちになる。
府中市美術館のアトリエではちょうど横尾忠則の公開制作中。製作中のY字路の作品3点をガラス越しに見ることができた。
やや遠方ではあったがこれだけ楽しめれば大満足の府中市訪問だった。