MOTアニュアル2011 Nearest Faraway|世界の深さのはかり方
MOTアニュアル2011「Nearest Faraway|世界の深さのはかり方」@東京都現代美術館
日本の現代アート作家を採りあげた都現美のシリーズ企画展。
世間が落ち着かないせいか、本格的なホワイトキューブに足を踏み入れるとほっとする。
社会のことばかり気にしているようなこんな時、社会を別のアプローチで読み取る現代アートは絶好の解毒剤になった。
最初の部屋の冨井大裕で一番気に入ったのは、背の高い壁に膨大な数の画鋲を刺した作品。その画鋲が照明の具合とか背の角度や色合いによって微妙なグラデーションが生じている。
彼の他の作品も、このようにありふれた消費財を素材にしているが、いずれもクリアーでポップな造形だった。
同様の手法で消費社会を批判する作品を作る人は多いが、冨井の優れたところは構造に対する美意識だろう。色も、サイズも手触りもさりげなく気持ちがいい。
次の部屋の木藤純子は、ホワイトキューブの四隅に木製のベンチを配置し、花びらのような紙片を撒き散らす。最初の部屋では明かり取りにスクリーンを張って光を和らげ、次の間では天井近くの窓に樹の枝のシルエットを映す。
日本にキリスト教のような一神教があって、教会を創るとしたらこのようなものではないか、この空間は日本の祈りの原風景なのではないかと感じた。
唯一の平面作品は関根直子のペン画。マンガによくある手描きのアミ掛けのようにペンで直線、曲線、円を膨大に描いている。
こうしてそれらの作品に向かい合っていると、作家が修行のようにかがみこんで鉛筆を動かしている姿が浮かんでくる。そして耳を澄ますとその筆の音が。創作の森をさまよい、森の声に耳をすませ、という演出か。展示空間も秀逸。
池内晶子の部屋は入っても何があるのかよく見えない。しかし、目を凝らすと巨大な部屋いっぱいに細い糸でクモの巣のような構造体が見えてくる。やがてその繊細なのにダイナミックな造形に感動する。
屈んだりしゃがんだり、目線の高さを変えながら見ると、それは印象を変える。曇り空の砂浜で見た遠い水平線か、側面から見た銀河系の姿か。
通路沿いの壁にも作品が。暗いので良く見えなかったのだが、一本の線を引いたその作品を一度見つけるとその行く先をどうしても見届けたくなる。
ミニマルな造形が人々の心の根源に通じている。現代の日本人のアミニズムはこうしたシンプルでクリアーなものなのかもしれない。内藤礼とはまた違った生命観であり自然観である。
椛田ちひろは巨大なトレーシングペーパーにボールペンで円弧を描き、迫力のあるグラデーションを作った。膨大な手間と繊細な存在感がある。
最後の部屋の八木良太はカセットテープをボールに巻き、これを再生ヘッドのある機器に置いてノイズを聴くという作品。
ボールに触るときは手袋をはめるようにとの指示で、部屋のあちこちにあるボールを厳かな手つきで持ち上げ、デリケートそうな機器にセットする。そしてどのような音が聞こえてくるかと天井にあるスピーカーに耳を澄ませる。
われながら神社の神主さんが訳の分からない儀式を執り行っているようである。
あるいは、はるかな未来の記録装置はこうした宗教じみた行為で操作するのではないかと空想したりする。
空間も素晴らしい。行為も興味深い。いちばん楽しめる作品だった。