うさぎスマッシュ展 世界に触れる方法(デザイン)@東京都現代美術館
こちらもデザインがテーマの展覧会らしい。この種の企画展は企画者がテーマをよく把握し、これに基づいて作品を選ぶということであるべきではないか。どうも無作為に置いただけという感じがする。
現代の技術として個々の作品は興味深いものがあった。
ギンズバーグ&ポーフレップの「グロース・アセンブリー」は植物を有用な形態に生育し、これをアセンブリして道具にするという技術のコンセプト。植物工場から実際に工業製品が生産されるのを空想してすごいと思ったり気味が悪かったり。
かつてはナノテクノロジーが分子レベルで物質を分解・生成するというアイデアがSF小説などでもてはやされたが、より現実的になったということか。
ジュディ・ウェルゼインのメキシコからの密入国者のためのサバイバルキット付きのスニーカーというアイデアがよかった。これを一方ではメキシコ国境付近で無料で寄付、一方ではニューヨークでは有料で販売ということから社会批判もある。手にとってみると実際によい商品でこれなら売れそうだと思った。
マイケル・リーのビデオ作品「ひとり旅ゆく」は孤独死をした人物の最小限の情報を表示したもの。世界各国の無名な人や有名人も同レベルで表現される。飯島愛の名前もあって、「人は忘却によって2回死ぬ」という言葉を思い出した。
いちばん面白かったのが、キャンプの「見る側と見られる側の対話」。街角にある監視カメラの制御室で、そのオペレーターと対話するというビデオ。
オペレーター本人はそれと意識せずにいかに特異な体験をしているのかが浮かび上がった。話を聞いてるだけで面白い。もう一本のターゲットを多くの監視カメラで追跡するというものもスリリングだった。
テクノロジーがアートの文脈の中では、はるかに価値があることはこれまでもいくつかの展示会で見てきた。恵比寿映像祭とか生存のエシックスでも。
これらはアート展でありながらも、展示にテクノロジーへの造詣とリスペクトがあった。だからテクノロジーへの畏怖とうらはらのユーモアが楽しめた。それはまさに優れたアート体験だった。
この展示会では、なぜライゾマティクスやスプツニ子!があんなに大きなスペースを使っているのかなど納得がいかなかった。そんなところから企画者のテクノロジーへのリスペクトに疑問のつくものとなった。