アンドレアス・グルスキー展@国立新美術館
結局、人間がつくったものよりこうなってしまった、できちゃったものの方がうつくしいということか。
巨大なパネル、超高解像度。それだけに撮影にはとてつもない準備があるのだろう。そして長い時間をかけたフォトショップワーク。
そのことが痛々しいほど画面から伝わってくる。
価値のあるものは、カメラの向こう側にあるものなのか、それともこちらがわでシャッターを押す自分なのか。
そのことにはもう結論が出ているのではないだろうか。この数十枚の巨大パネルはその結論を再確認させてくれるためにあるようだった。
歴史的事件のある室内をペーパーワークで作り、それを撮影したトーマス・デマンド。そうして作られた、フクイチ調整室の作品がある。
写真そのものが素晴らしいかはさておき、そこには見るに値する感じがする。それはカメラのあちらでもなく、こちらでもなく、パネルを鑑賞している自分がその事件について何を考えてきたのかを問われているからだ。
グルスキーの作品からは膨大なプレワークとポストワークの印象ばかりがのしかかってきて、圧迫されるような展示室だった。