「サンダカン八番娼館」山崎朋子(文春文庫)
「からゆきさん」と呼ばれた、戦前にアジア各国へ渡った売春婦たちについての1975年のドキュメンタリー。かつては誰もがあたり前のように読んでいたものだがもう思い出す人も少ないようだ。
一般資料から大局を描くのではなく、実際に生存している本人を探し出し、虚言を吐くことをものともせず親密になり、生の声を聞き書きするという手法が大きな特徴である。
その手法から当時は毀誉褒貶もあったことだろう。はじめは有望な素材を見つけた研究者が、偶然見つけた対象にとりいっているようで不快感があったが、最後には感動に涙がこぼれた。
もともと近代における底辺の女性からジェンダーを論じるというのがこの本の軸足。
だが、そうした主張以前に、この偶然出会ったかつての「からゆきさん」の老女の心のありようから、人の崇高さが浮かび上がる。
聞き書きしたからゆきさんの人生の実際ももちろん興味深いし、放っておけば彼女らの死とともに消え去ってしまう物事を思い出したくない気持ちに分け入った記録は素晴らしい近代史研究である。しかし、私はこの二人の日常の機微にいちばん心揺すぶられた。
熊井啓が映画にしてずっと以前みたのだが、また見たくなった。確か栗原小巻と田中絹代が現代で、高橋洋子がからゆきさん時代を演じていた。
今日的視点で読んでみると、北朝鮮による拉致を彷彿とさせるような人さらいの実態があり、こうしたことがあたり前であった時代があったことに愕然とする。
また、この本で描かれるのは日本人女性ばかりなのだが、実際には朝鮮、中国はもちろん、東南アジア各国の女性もその対象であったのだろう。その視点からこうしたルポがないものかと思う。
今日読み返してみて、政治問題になってしまった従軍慰安婦問題が、当事者の心の点から再検証されるべきだとも思った。