茨木のり子展@世田谷文学館
世田谷は区立美術館もでっかいし、美術館の分館も3つもあってさらに文学館もある。どれもしっかりと地元に根付いている感じがしてうらやましい。
それで初めてこの世田谷文学館に行ってみた。そんなに大きくないのだが居心地のいいオープンスペース、ミニホールも開放的。常設展も企画がしっかりとして、よくある展示しっぱなしの常設とは一線を画している。
そのように建物もいいのだけど、ここにたどり着くまでの駅からの道程がまた気持ち良い。整備された並木の歩道に低層の高級マンションが奥まっている。たぶん景観条例があるのだろう。
区立の文化施設がハコだけでないためには、地域住民に愛されることが大事。そのためにこそ周辺地域の開発にも自治体が口を出すことが必要になる。世田谷区の芦花公園はそのモデルになるのではないか。
ところで茨木のり子展について。詩人の人生をまんべんなくカバーした展示会で、かなり詰め込んである印象。詩にしても手紙にしてもかなり読むことになるので滞留はしかたがない。私もじっくりと読み込んだ。
一番興味深かったのは詩人たちの交流についての資料。
連詩第1回「載り墜つ浅葱幕の巻」(1971)は京都白河院で川崎洋、大岡信、吉野弘、谷川俊太郎などが参加した詩作。大きな巻物にそれぞれの筆で数行づつ。ガラスケースに見えているもの以外にもあるらしく、続きが見たいと心から思った。
そよぐ山羊髭
<田舎の学問より京の昼寝>
にしんそば すすりつつ
かの諺 半ば憎み 半ばうべなう
というのが茨木のパート。
先日、近美でみた田中功起の「ひとつの詩を五人の詩人が書く(最初のこころみ)」というビデオをみて詩人の連作の現場に興味を惹かれたのだが、その成果を目の当たりにできてさらにかきたてられた。
それにしても当時の文化人は多くの手紙や葉書をやりとりしたものだ。
「櫂」設立時の川崎洋との手紙のやりとりは、内容もさることながら文字や便箋も格調高い。手元にコピーも残さず、事務的手続きを粛々と行うという信頼をベースにしたやりとり。そして、書き直しをしないで一気に書くという行為。
今日、それに置き換わったメールによって何が失われたのかが、物理的に見えた気がした。
猛烈に手書きで誰かに手紙を出したくなった。