「出家とその弟子」倉田百三
発表当時、これは親鸞の教えではないと浄土真宗からさえ批判があったらしい。しかし、念仏と密教の区別もつかない人の多い現代、この本は他力本願や浄土思想とは何かを伝える良いテキストになったのではないか。
雪の中へ親鸞ら一行を追い出した左衛門。その息子で、長じて出家した唯円は幼い恋愛に悩む。道ならぬ恋愛によって多くの者を不幸にした善鸞。また、親鸞さえも親としての悩みを抱えたまま死の床につく。これは出家でさえも陥るこうした人生の苦しみと、そして祈りによる回帰の物語である。
すべての人はあらかじめ救われている、どんな悪人でも死ぬ前に「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土へ行けるとする浄土思想は、ともすれば大衆迎合的で妥協的な信仰のように見られるが、本書を一読すればそうではないことがわかる。
ひたすら解脱の技術を伝えるブッダの言葉から千数百年を経て、仏教は遠い日本で衆生を救う大乗の教えへと大きく変化した。それを本来の仏教とは似て非なるものと揶揄する声もあるが、ならばそれを「日本の仏教」と自称して構わないと思う。
日本はまぎれもない仏教大国である。現代の仏教教団や寺がそうであることを担っているかどうかは別として、日本人の心や生活に仏教の精神は宿っている。