ジョセフ・クーデルカ展@東京国立近代美術館
写美で見たプラハの春についての写真展でいたく感心したクーデルカの大規模個展。
1960年代から活躍しているのでベテランだが、プラハの写真を公開したことから国籍を失いあちこちと放浪して苦労したらしい。
その写美でみた「侵攻 Invasion 1968」が一番有名なのでクーデルカはジャーナリストなのかと思っていたが、実はアーティスト。今回の展示会でそれがよくわかった。
人、モノ、心象風景など今日では誰もが撮っている対象だが、クーデルカはおそらく誰より早く撮っている。そして、誰よりもよく撮っている。それが長いキャリアの賜物なのか。
「ジプシーズ」でみられる被写体の眼差しと撮影者の視線が絡みあうところに静かに興奮した。また、室内や建物は民俗学的興味を満たしてくれるとともにかきたてた。
室内にあきらかにカソリックの物品があった。彼らは教会から受け入れられているのだろうか。この分野について調べたくなった。
しかし、ジプシーはなんでこんなに西欧の人々に愛されかつ憎まれるのだろうか。
実際、私も数十年前にローマでそれらしき子どもたちに財布を盗まれそうになったことがある。そのあどけない笑顔と手慣れた技に呆然としたものだ。
クーデルカがパスポートを失い、各国を放浪していたときの作品群「エグザイルズ」が今日の心象風景写真のさきがけのようでまた面白い。民族と故国を失って、何をどうして撮るのかという拠り所のなさが映像になっている。
年表をみていたら1997年に写美で「ユリシーズの瞳:テオ・アンゲロプロスとジョセフ・クーデルカ」という展示会があったらしい。なんでも「ユリシーズの瞳」のスチルを彼が担当していたとのこと。
そういえば今回の作品にも巨大な石像(レーニン?)が運ばれているのや廃墟に巨人の指があるのがあった。たしかにこの二人は親和性が高い。カタログだけでも見てみたい。