映画「フタバから遠く離れて 第二部」

映画「フタバから遠く離れて 第二部」

昨日は東京ドイツ文化センターでドキュメンタリー映画「フタバから遠く離れて」の自主上映会。参加者はほぼドイツ人。監督への質疑で彼らが何を言うのか興味があったが、質問したのはほぼ日本人だった。意外と反応薄い。

映画は双葉町の避難民を埼玉県加須市と仮設住宅に追い、町長の声を拾いといったオーソドックスなルポ。甲状腺障害が疑われるウシのショッキングな映像をはさみつつ、かわいそうな避難民と無能で非情な政府という構図の提示にとどまっている。

映像でも文章でも多くのフクシマドキュメンタリーがあるが、こうした構図を超えたものにまだ出会っていない。ドキュメンタリー映画には伝えたいことがあるものと、伝わってしまうものがあると思うが、私が評価するのは後者である。

2011年に見たドキュメンタリー映画「無常素描」は映像と玄侑宗久の語りのみで、震災という事件よりも世の無常という悠久につながる感覚が残るものだった。

震災・フクシマ関連の書籍や映像がまさに雨後のタケノコのように出ているが、事象に圧倒され、反応してつくったものより、今日では求められているのは作家性ではないだろうか。

「フタバから遠く離れて」で最もショッキングだったのは除染の実態。町立幼稚園は除染が済んでるというが広大な山林に囲まれており、点と線が除染されているだけというのが明らか。誰もあそこに子どもを行かせようとは思わないだろう。

それから旧町役場の屋上から見た中間貯蔵施設の予定地の光景。内陸部から海岸まではるかに広がる土地がそうだという。これが美しいふるさとに還る日というのは本当に現実的なのだろうか。そろそろそれを考えなければならないと思った。