映画『首相官邸の前で』

映画「首相官邸の前で」

2011年から広がった脱原発デモの当事者にあたったドキュメンタリー映画。大作「1968」で全共闘運動の時代をとらえた小熊英二による初監督作品。

しかし、ドキュメンタリー映画としてはかなり一面的で、広がりに欠けるものだった。映画は脱原発デモのオルガナイザーたちの活動と、デモの映像が中心なのだが、そこには周辺からの視点がない。デモにはそれを遠巻きに眺めている視線があるはずなのだが、この当事者たちはそれに気づかないようである。あるいは映画はそれを捉えていない。

映画が優れたメディアであるためには開かれたものであるべきではないか。映画であれば何を写し、どのくらい映しているかでどのくらい開かれているかわかる。この映画には、デモの熱狂と満足感だけがあった。そのせいで、脱原発デモそのものに懐疑的な私にはむしろ拒否感さえ湧いてきた。

例えばこのオルガナイザーたちがふだん何をしているのか。家族はどう思っているのかなどを差し込めば視線の広がりが出たと思うのだが。あるいは、デモの参加者が家に帰ってどうしたかを追ったらどうだったろう。

また、クライマックスとも言える国会前デモのシーンでは音楽をなくし、シュプレヒコールと喧騒だけで表現している。こうした表現手法はドキュメンタリー映画としては陳腐である。ドキュメンタリー作家は、「こう感じてください」という意識を可能な限り排除するべきである。

それにしても、デモの熱狂はすごい。しかし、あらゆる「運動」のあとで何があったのか、歴史を知るものならば知っているだろう。

私はデモの参加者が自宅に帰って家族と、会社に行って同僚と、学校に行って仲間と、原発について気軽に話し合えるようにならなければ現実は変わらないと考えている。

上映後にトークシェアと称して観客が語り合う機会があった。結局、原発に関して同じ意見を持つものが同じ空間に集まっているようで息苦しかった。映画やデモ参加をきっかけに、薄く広くかつ継続した言論がもっと広がるといいと思った。