「渇きの海」アーサー・C・クラーク(ハヤカワ文庫)
1961年の作品だからクラークがSFを描き始めて10年目。彼の長い絶頂期の始まりの頃だろう。月面の塵の海を渡る観光ボートが月震で沈没。これの救出をめぐるスペクタクル。次から次へと危機が襲いかかり、科学者と技術者がひとつひとつ対処していくという、誰もが楽しめる、読んで損のない一冊である。
再読して素晴らしい思ったのが英国人らしいユーモア。閉じ込められたボートの中で真っ先に何をするかというと、暇つぶし。残り少ない本の朗読会、手作りのカードでトランプ、架空法廷での陳述。大戦中の捕虜収容所で架空の少女を設定して精神の荒廃を回避したのは英国人だっただろうか、フランス人だっただろうか。
科学と技術に関わるものの熱意と諦めない心、危機にあっても思いやりを捨てない市民意識。こうした人間と文明への確固とした信頼がクラークの魅力であり、それを十分に堪能できる一冊である。