「ふたり―皇后美智子と石牟礼道子」高山文彦(講談社)
平成25年10月、天皇皇后が水俣を訪れた際、水俣病患者たちと面会した。それはよくある天皇の地方訪問ではなかった。天皇皇后の意向が強く働いた行事だったのである。本書は異例とも言えるその顛末を追ったルポである。
水俣事件という戦後最大の公害に関わる本書はそれだけにとどまらない。水俣病によって塗炭の苦しみを受けた患者たちの半生と、そしてその原因をつくりだしたチッソとの対決に人生を捧げた者たち(患者も含む)についてもほぼ半分を割いている。
水俣病は、現地以外ではもはや過去の事件と見られているのだろう。しかし、福島原発事故を経て国と企業が住民とその土地にもたらした災禍を見れば、水俣事件を発生させた国と企業の構造は変わっていないとの認識が新たになる。
だから本書は現代にこそ読むべき一冊である。そうした構造が維持されているからこそ、天皇皇后が水俣を訪れることを強く希望したのであり、そう希望した理由がよく理解できるのである。
その水俣訪問で天皇皇后は水俣病患者と面談した。緒川正実ら語り部の会は天皇の求めに応じて語りを述べた。本来ならそれでは、と会を終了する予定であったが、続いて天皇から驚くべき行動があった。「ほんとうにお気持ち、察するに余りあると思っています…」との言葉があったのだ。
この天皇の言葉には心からの同情と共感がある。ぜひ本書で全文を読んで欲しい。天皇という立場から発する言葉であることを差し引いても、ひとつの文章として感動的なものである。また、その言葉の後、関係者の急かせる声をあえて無視してとった天皇の患者たちとのふれあいも感動的である。
さらに驚くべきことに語り部の会との面談に先立ち、天皇皇后はふたりの胎児性患者とも密かに面談していた。言葉がはっきりしない患者の言うことにわかったふうをせず、いちいち「いま、なんとおっしゃいましたか」と辛抱強く聞き直していたという。
それはこの国の昭和という時代の罪、その罪の謝罪こそが自らの仕事なのだとする天皇と皇后の意志を浮かび上がらせる。今上天皇は歴史上最も日本国民に敬愛されている天皇である。これがその所以ではないか。
胎児性患者との面談そのものも、そこでの出来事も異例である。本来なら歴史に隠されたひとコマとなるべき出来事であっただろう。関係者は侍従に「夢だったと思ってください」と言われたという。しかし、これが謝罪であり、その罪の深さのためにはそれではならなかったのだろう。天皇は後の語り部の会との面談の席で、このことを公にするという配慮まで見せている。
皇太子妃雅子の祖父はチッソの社長であった。まさに水俣病の原因となる有害物質を垂れ流していた時期にその立場に在籍している。そのことがあって皇太子と皇太子妃の水俣との関わりは部妙な問題をはらむ。しかし、ふたりがこうした今上天皇の意を理解するならば、いつかその意を継ぎ水俣を訪れ、謝罪の言葉を患者本人へかけることを切望する。それが天皇を敬愛するいち国民としての私の願いである。
本書では水俣病患者の苦しみに満ちた人生とその闘争についても大きくクローズアップしている。その中で私が最も興味を惹かれたのは水俣闘争についての経緯である。
いまは中牟礼道子の介護者として好々爺としている渡辺京二。彼のアジテーターとしての才能やラジカルな理念は衝撃的であった。
渡辺は、水俣闘争は患者への同情や思想でやるものではない。「義理と人情」であるとする。イデオロギーや政治闘争、道徳問題や法律解釈でもなく、義憤による「助太刀である」であるとするのである。
その闘争の理念は昭和44年のチッソ水俣工場前での座り込みチラシの文章、そして闘争の機関誌「告発」の文章に明らかである。それは過激に魅力的であり、すべての活動家は一度は読むべき文章であると思う。
「水俣病問題の核心とは何か。金もうけのために人を殺したものは、それ相応のつぐないをせねばならぬ、ただそれだけである。親兄弟を殺され、いたいけなむすこ・むすめを胎児性水俣病という業病につきおとされたものたちは、そのつぐないをカタキであるチッソ資本からはっきりとうけとらなければ、この世は闇である。」(昭和44年 座り込みチラシより)
「あの美しい海を相手に静かに同じ朝夕をくりかえしながら生きてきた人びとになんの理由もなく加えられた毒殺行為に、どのような弁解が成り立つのか。(中略)その抑圧者・加害者・搾取者が口のまわりの血を拭って目の前にいる。それなのに、考えるだけ・話すだけでおしまいとする習性の身についたわたしたちは、ここでも考えるだけ、話すだけでおしまいにしようというのか。敵が目の前にいてもたたかわない者は、もともとたかかうつもりなどなかった者である。そんならもう従順に体制の中の下僕か子羊になるがよい。」(機関誌「告発」2号)
今日、安保法制への反対をきっかけに若者政治集団が注目されているが、彼らにこうした活動への「狂気」があるのだろうか。「きつね憑き」があるのだろうか。この運動に深く関わることになる石牟礼道子は父から「むかしなら、打ち首獄門ものぞ。覚悟はあるのか」と問われたのだ。
そして、こうした憑かれたような活動が結局は何を勝ち取って、その後どんな失意や失望があったのかも見つめるべきと思う。
直接交渉組と呼ばれ、あくまでも患者側とチッソとの直接補償交渉にこだわり、奔走した川本輝夫の行動も忘れられるべきではない。しかし、その彼の晩年は仲間の裏切りによる失意に満ちたものだったという。
本書には皇后がインド・ニューデリーで行われた国際児童図書評議会世界大会の基調講演として行ったビデオレターの書き起こしが引用されている。それは率直でありながら格調高く、決意にあふれている。
こうした優れた言葉の引用が本書にはいくつもある。その言葉とその背景をたずねていくのが本書の道程である。
もちろん水俣病患者と面会したときの天皇の言葉そして和歌、他にも石牟礼道子の「苦海浄土」、前記の活動家渡辺京二の文章、同じく川本輝夫の残した言葉がある。いずれにもプロのモノ書きの言葉にはない崇高な輝きがある。
「(天皇と面談した語り部の会のメンバーであり、川本輝夫の長男である)川本愛一郎は高校生のころ、仏壇に小さく丸めて置いてある紙を見つけた。(中略)『熱意とは事ある毎に意志を表明することである』いい言葉だな、と彼は思い、父親のその言葉を自分の指針とした。」
それは評論家や作家の言葉には見つけ難いものである。どう違うのかと問われたら、それは言葉のための言葉ではなく、意志を持った言葉なのである。ある熱意、ある励ましを込めた言葉なのである。