「戦後日本の『独立』」半藤一利・竹内修司・保阪正康・松本健一(筑摩書房)
日本の占領期(昭和20年8月のポツダム宣言受諾から昭和27年4月のサンフランシスコ講和条約発効までの期間)についての座談会である。
まとまった評論や論文ではないが、いずれも日本近代史の第一人者であるので興味深いものにならないはずがない。それぞれの広く深い知識や膨大な文献資料のなかから議論につれて取り出してくる話題は、どれも昭和史研究の大きなテーマになり得るものである。
終戦直後の知識人に衝撃を与えた丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」についてや、マンガ「ブロンディ」をはじめとするアメリカ文化の流入、3回あったと言われる天皇退位の機会についてなど、硬軟取り混ぜての談論が終始打ち解けた雰囲気のなかで進められる。その様子は、日本の近代史研究の成熟のひとつの形のように思える。
そんな雰囲気の議論の中で提示される驚くような事実とは、例えば映画「風とともに去りぬ」についてである。半藤によれば一般公開が昭和27年であったこの映画は実は戦中にごく一部に対して公開されていた。敗戦2週間前に華族会館で上映されたときには高峰秀子も観ており、その時のことをこう記述しているという。
「試写が終わって、ドアが開かれ、夕闇のせまった戸外へ出たとき、だれかの、呟きとも、ひとり言ともつかない声が低く聞こえた。『こんな映画を作っている国と戦争しちゃ、まずいな・・・』」
さて、本書のなかでも注目すべき議論が3点ある。まずは昭和20年8月26日にあったとされる大本営とソ連との密約についてである。次に自衛隊の前身である警察予備隊の設立にまつわる服部卓四郎大本営参謀の暗躍について。それから再軍備と吉田茂の主導した単独講和についての議論である。
「異国の丘と引揚者」の章で保阪が、ポツダム宣言受諾直後の8月19日、大本営の朝枝繁春参謀がソ連との停戦交渉の場で在留邦人と軍人を引き渡すとの提案をしていたことを明らかにしている。これが満州引揚者の多大な犠牲とシベリア抑留の原因のひとつになっているとすれば、まさに「万死に値する」ことではないか。
「日本再軍備をもう一度ふり返る」の章で、警察予備隊の編成にあたって吉田茂が旧軍関係者の排除を主張したにもかかわらず、元参謀本部の服部卓四郎、有末精三、河辺虎四郎らが主導的立場での参加を求めていることにふれている。
服部らはGHQ参謀第2部ウィロビー部長の後ろ楯もあって各方面から圧力をかけてこれを実現しようとしたが、編成担当だった後藤田、海原がこれを拒否した。服部一派は当時、GHQの一部勢力と結びつき終戦当時のモノ不足の時代に豪勢な生活を送っていたという。
前記の朝枝や瀬島龍三は、連合国による戦争犯罪の訴追を恐れて自らソ連抑留を求めたような形跡もあり、こうした戦争主導者の後年の行いはより明らかにするべきだと思う。実際、半藤は松本清張が服部一派の暗躍を小説にするつもりであったと述べている。小説になれば後年より多くの人の記憶にも残ったのにと残念だ。
このように現代のメディアは戦争指導者の戦後について、もっと取り上げるべきだと思う。昨年のNHKドラマ「負けて、勝つ 〜戦後を創った男・吉田茂〜」では服部のエピソードが取り上げられていたが、生存する関係者への配慮によるものかきわめて短く遠回しであった。
「安保条約と吉田ドクトリン」にある、講和条約をめぐる動きも朝鮮戦争と日本の再軍備をめぐる米国の思惑を受けて、吉田茂がいかに現実的な舵取りをしたのかの議論がすばらしい。
アジア情勢の負担に耐えかねた米国が日本に再軍備を求めるのに対し、吉田茂は平和憲法と社会党の存在をたてにこれを乗り切ったという。
このときまさに日本の現在と将来にわたる決定が行われたのであって、再軍備や憲法改正が与党によって叫ばれる今日これを再評価することが重要との指摘は全く正しい。
ところで、同じ章で吉田内閣の外務次官で後年対立して辞職した寺崎太郎の講和条約に関する見立てが挙げられている。
寺崎はサンフランシスコの平和条約は、実は「行政協定」のためであったと主張している。アメリカの狙いは改定ごとに内閣の決定を必要とする条約ではなく、官僚間で柔軟に設定できる協定であり、これによって二国間の重要な案件をアメリカ主導で決定できる体制であるとする。
「あとがき」で松本が平成24年の野田内閣で「原発ゼロ方針」が閣議決定できなかったのは、日米原子力協定に違反するおそれがあったためと指摘している。そうであれば昭和27年の講和条約の狙いが有効に機能していることになり、政治というもの因果性や連続性につくづくと畏れを覚える。
話は変わるが、「西田幾多郎全集の売り切れ」の章で上官の罪を背負ってシンガポールでBC級戦犯として死刑になった通訳の木村久夫の文章についてふれている。遺文は「きけわだつみのこえ」にあるが、ここでも読める。
死を目前にしての文章のあまりの清冽さ。当時の27歳はこんな文章を書いていたのだ。歴史理解も状況理解もなしでいいから今の若い人に読んでほしいとおもう。
この部分の議論にもある戦後日本人の戦死者に対する後ろめたさや嫉妬心、その一方で戦争指導者の戦後のなりふりかまわぬ保身や利益追求はどうしたことだろう。それは現代の原発維持ないしは推進の世論にも通じるものがあると思う。
本書で得られたことはいずれも興味深く、今後とも忘れがたいテーマだ。最後に「アメリカから得たもの失ったもの」の章にある短歌が深く記憶に残ったのでシェアしておく。
「あなたは勝つものとおもつていましたかと老いたる妻のさびしげにいふ」(土岐善麿)