「総点検・日本海軍と昭和史」半藤一利・保阪正康(毎日新聞社)
元海軍中将の小柳富次が戦後、海軍OBに聞き取りした「小柳資料」が最近になって発表された。これを基に昭和史のエキスパートである両氏が、戦後流布した海軍善玉論への決別というテーマで行った対談集。
ジャーナリストや昭和史研究者が問うても黙して語らなかった海軍指導者たちが、身内である小柳にはきわめて饒舌に語っている(らしい)。その一部が対談の中で明かされるという体裁。また身内であってもあえて問わないこと、語らないことがどれなのかも興味深い。
本筋とはやや外れるが、いわゆる「竹槍事件」のくだりに戦慄した。毎日新聞記者の新名丈夫が昭和19年2月に書いて掲載された記事が、ときの首相東條英機を激怒させた。
記事は、本土決戦の竹槍よりも海洋航空機の充実を訴えるもので、しごく当然なものだったが、東條は新名に懲罰招集令を発令。海軍内の支援者によって新名は短期除隊となったが、陸軍はそれならばと毎日新聞の同期社員ら250名を代わりに招集。彼らは硫黄島に送られ全員戦死した。
近年では東條を英雄視する傾向があるらしいが、当時軍政と軍令の指導者であった東條は、ことあるごとに懲罰招集を繰り出して対立者を震え上がらせた。このように戦中とは生命を賭して内部抗争をするという時代だったということか。
近年では賛美の対象となっている「特攻」についても取り上げられている。本書には当時これを提案し、推進した指導者が戦後語った言葉がある。それは、責任転嫁にあふれた、寒けがするほどの空々しさだった。
現代の人間が特攻という行為を賛美するのなら、これがどのようななりゆきで、誰が推進したのかを一度は調べてみるべきだろう。そしてそれら指導者たちが戦後どのように過ごし、何を語ってきたのかについても。本書に限らず現代ではそうした資料が豊富にある。
ひるがえって現首相は、集団的自衛権に関する憲法解釈変更の動きを「いずれ歴史が評価してくれる」と思っているらしい。指導者の発言を歴史から逆照射して聞くことを、これからも忘れずにいたいものだ。