「障害者殺しの思想」横田宏(現代書館)
1970年代に活動したCP(脳性マヒ)者による当事者団体「青い芝の会」。その当時の指導者である横田宏による活動の記録である。
単なる親睦団体であった「青い芝の会」が強く政治性を持ち、自治体や省庁に働きかけていくきっかけとなったのは、頻発する母親によるCP者殺害であった。
終わりの見えない介護に疲れて障害のある子どもを殺すことに、世間は同情的であった。また、公判の結果も情状をくんだものが多かった。
横田らCPの当事者はこうした風潮に対し危機感を募らせる。「健常者である母親はかわいそうなのに、殺された障害者は殺されても仕方のない存在なのか?」と。
それから会は優生保護法廃案、障害者の養護学校への強制入学拒否、車いすでのバス乗車拒否問題などに取り組んでいくことになる。本書では豊富な要請書、質問書とその回答などの一次資料とともに、横田らの活動と当時の心情が回顧される。
あれから40年以上が経ち、CP者を含む障害者問題も変わってきている。もちろん十分な改善であったとは言えないだろうが、それでも排除が普通という意識から、社会へ包摂していこうという考えが、(表面的には)当たり前になりつつあるのではないだろうか。
そうした今日の状況には、横田らの活動が大きな影響を与えたことは疑いない。
当事者たちの「そもそも社会にとって役に立たないものは殺されても仕方がないのか?」という問いかけは、われわれ一般人(障害者を含む)の人権意識、多様性を大事にするという言葉の本気度を鋭く衝くのだと思う。ラジカルや前衛がものごとの周縁を遠く、広く設定するとはこのことだろう。
それにしても「当事者を支援する」とは簡単なものではない、とつくずく感じた。本書にも横田と関わりのある宗教者や障害者の支援団体、(当時の)革新政党との関わりの記録があるが、そのほとんどが分裂しているのだ。
一方で、先日読んだ「ふたり―皇后美智子と石牟礼道子」には、水俣病者支援活動において多くの活動家が離反するなか、これは「義理と人情」による「義憤による助太刀」であるとした人びとの活動が最も末永く、かつ成果を上げていったことは忘れられない。
つまり支援することの最も強い動機は理念やイデオロギーや同情ではなく、理不尽に対する怒りなのではないか。もしかすると、その点において支援者はもはや当事者なのかもしれない。
一、われらは自らがCP者であることを自覚する。
われらは、現代社会にあって「本来あってはならない存在」とされつつある自らの一を認識し、そこに一切の運動の原点をおかなければならないと信じ、且つ行動する。一、われらは強烈な自己主張を行なう。
われらがCP者である事を自覚した時、そこに起こるのは自らを守ろうとする意志である。
われらは強烈な自己主張こそそれをなしうる唯一の路であると信じ、且つ行動する。一、われらは愛と正義を否定する。
われらは愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ行動する。
一、われらは問題解決の路を選ばない。
われらは安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥協への出発点であるか、身をもって知ってきた。
われらは、次々と問題提起を行なうことのみがわれらの行いうる運動であると信じ、且つ行動する。(青い芝の会の行動宣言、1975年)