映画『ニッポン国 VS 泉南石綿村』

大阪府泉南市住民によるアスベスト訴訟の8年間を追ったドキュメンタリー。メイシネマ祭’19で鑑賞。あのホールの3分の1くらい埋まってたからだいたい100人くらい集まっていたか。

しかし3時間半は長い。原告が多いのでひとりひとりにじっくり話を聴くと長くなってしまうのは仕方ないが、それでも最高裁判決まで出た訴訟なのだから「ここがポイント」という編集をしてほしかった。

それにしても驚いたのは原監督自らが原告に対して「裁判だけしていればいいのか」「厚労省に面談を求めるなどの実力行使は必要ないのか」など焚きつけるようなことを言ったこと。

あくまでもカメラのこちら側にいて、あちらで起きていることを記録するのがドキュメンタリストの心得と思っていたのだが、ドキュメンタリー映画の大御所のこのような行為。

公式ウェブサイトに監督メッセージがあり、これによると「さらに、もっと過激な主人公を探し求めていた。が、どこにもいなかった」とのこと。先日読んだ渡辺京二の「死民と日常」に、原は水俣を撮りたかったとの発言がある。

確かに水俣闘争では裁判は裁判でやっていても、チッソ本社ビルの占拠など実力闘争こそが運動の中心であった。それに比べると平成の公害闘争はあくまでも裁判という枠内にとどまり、それがまだるっこしいと感じたのかもしれない。

しかし、直接行動の結果が(映像的には見るべきものになったものの)首相官邸と厚労省ビル前での門前払い。

これがドキュメンタリー映像作家のするべきことだろうか。とても疑問に思った。

ところで、在日の原告のひとりに石綿被害と朝鮮労働者問題を関連させて話を聞き出そうとして「それって関係ないんじゃないの」とつっこまれるくだりが痛快だった。

どうしてもある歴史の見方や社会構造に物事をはめたがる人がおり、メディア関係者にそれは多い。この方もそのひとりだったと確信した。