『魂の殺人』アリス・ミラー

『魂の殺人』アリス・ミラー

今年の参院選で注目していた「れいわ新選組」の論客、やすとみ歩のスピーチで聞いて読む気になった一冊。

本書は精神分析家であるミラーによる、主に大戦間の西欧における教育の罪の告発の書である。

本書の前半は近代から現代にかけて西欧の幼児教育を覆っている「闇教育」について豊富な引用をもとに論じている。いわく、子どもというものは3歳までに徹底的に親に服従するように「しつけ」なければならない。それが子どもがその後の厳しい人生を生きていくための必要な修行である、というようなもの。

ミラーはそうした乳幼児期の抑圧された経験や記憶を、「本当にあったこと」として認められないことが成長してからの精神の屈折の原因であるとする。なぜなら子どもというものは無条件に両親を愛するものであり、その親に酷いことをされたということを自ら認めたがらない、信じたがらないからである。

さらに根深いことに、そうして子どもを抑圧する親は自らもそうした乳幼児期の抑圧を体験しており、自分の子どもと同様に自分がそうされたと認識していない場合が多い。そして自分が大人になったとき、自分がされたことを自分の子どもに対してしているのである、無意識に。

ミラーは実例として自己破壊的行為を繰り返す少女クリスティーネ・Fと、無垢な少年を残酷に殺害した青年ユルゲン・バルチュを取り上げているが、それに加えてアドルフ・ヒットラーの幼児期の体験と、その父親の精神状態をも分析の対象としている。

全体的に読んでいて辛い人間分析である。私はこれは20世紀の西欧に特有の現象ではないかと思った。あるいは「子育て」ではなく「教育」をする余裕のある階層に特有の状況ではないかと感じた。

そもそも子どもを産み、育てることには喜びが伴うものであり、それが母親や父親となる主な動機だと思う。近代の日本ではまず子どもは勝手に楽しいことをする。それからその準備ができたら教育をすればいいというのが当時の一般的な考えだったのではなかったか。

それに対して当時のドイツ社会は最初の大戦後の混乱と沈鬱、その反動の熱狂にあった。そして次の大戦で再び敗北したことで国民の精神に大きな荒廃が生じた。それが本書が書かれたその時期の、大人と子どもの精神状況ではなかろうか。

ミラーの、子どもを虐待する大人もまた虐待されてきた子どもであったという論旨は、これから子どもを産もうとする者にとって勇気づけられるものではない。また、すでに子どもを育てている親にとっても救いのないものである。