『専門知は、もういらないのか』トム・ニコルズ

「専門知は、もういらないのか」トム・ニコルズ

国際政治を専門とする米国の大学教授による現代メディア論。インターネット、Google、ケーブルテレビの台頭、知性を敵視する大衆、その結果としてのトランプ大統領などタイトルから想定できる範囲を十分カバーしている。

特に興味深かったのが米国の大学事情についての章「高等教育―お客さまは神さま」。現役の教育者としての著者からの米国大学レポートである。

日本もそうだが米国も一部の上位校を除いては大学がレジャーランド化しているという。

また、自己評価と多様性の尊重を初期教育から持たせることが米国の伝統的な教育姿勢としてあるという。「自分は one and only で素晴らしい」というわけだ。

その結果、大学に来て講師に対して「まあ、あなたの考えもぼくの考えも、同じくらいいい推測です」と普通に発言し、「違う、違う。わたしの推測のほうが君の推測よりもずっといい」と教授が言うことになる。学生の不思議そうな顔が浮かぶようだ。

日本人は学生も社会人も低い自己評価と従順な姿勢が問題とされることが多いが、ここが大きな違いと感じた。そして両方とも問題とされている。

(前略)準備不足の学生が大量に大学に入学しているもうひとつの原因は、肯定と自己実現の文化が子供に失敗を突きつけることを禁じているせいだ。一九九五年にロバート・ヒューズは、アメリカは「子供たちが自分は愚かだと思わないように甘やかす」文化だと書いている。(p97)

彼がそう感じるのも無理はない。今の子供たちはよちよち歩きのころから、大人をファーストネームで呼ぶように教えられてきた。彼らの「成績」は、成績を伸ばすように鼓舞するものではなく、自尊心を高めるものだった。そして彼らは、まるでゴルフコースそばのコンドミニアムを内覧するかのように大学を見学して、入学してくる。こうしたささいな、だが重要な、大人による子供への譲歩が続くことで、子供の学ぶ力が蝕まれ、偽の達成感と自分の知識への自信過剰が子供たちに植え付けられる。そしてそれは大人になってもずっと続く。(p102)

 

トムは、最終章「結論―専門家と民主主義」で専門知と民主主義社会のあるべき関係を提案している。それの実現には悲観的なのだがそれが実現するための条件として次を挙げている。

悲劇的なことだが、この問題の解決は、今のところ予測不可能な惨事にあるのではないかとわたしは思っている。戦争か経済的大惨事か(中略)。解決策は、現在アメリカやヨーロッパが向かいつつある、無知なデマゴーグによる政治下で現れるかもしれないし、ついに愛想をつかした官僚たちが投票を形式だけのものにしてみずから権力を握るテクノクラシー下で現れるかもしれない。(p282)

現在世界中を覆っているパンデミックがこの「予測不可能な惨事」にあたるのだろうか。この状況下で一般国民の専門家(この場合は感染症や医療の)への信頼はどうなったのか、政治と専門家の関係には変化があったのかは興味深いことだ。

日本では、首相や大臣が専門家の意見を容れないとして専門家会議と閣僚の関係について批判が集まることが多い。どちらも行動原則としては正しい。こうした政策決定者を選挙で選んだ国民に責任があるのだ。

それは昨今に限ったことではない。数年前の原発政策、公害への対応。戦争責任へもさかのぼることができる。

国民は民主主義を理解する必要がある。民主主義制度における専門家の役割についても理解する必要がある。専門家は知見を基に提案し、それを採用するのは政治家である。

ジョージ・W・ブッシュが大統領任期中にどのような失敗をおかしたとしても、アメリカ国民に対して政権の動きについて説明した際、自分が「決める人間」だと言ったのは正しかった。専門家にできることは提案することだけで、決めるのは選挙で選ばれた議員たちだ。(p261)

 

最後に本書から印象的なC・S・ルイスの文章を孫引きする。これは地獄の高官スクルーテイプの言葉である。

「民主主義という言葉を振りかざして、諸君は個人を面白いように操ることができます。
(中略)
小生がいう意味は、彼自身も自分が他人と同じだと思っていないということなのです。「おれだって、おまえとちっとも変わらないんだ」と言う人間は、同じだなんて思っていないのです。同じだと思っていれば、そんなことを口にする気にもならないでしょう。(中略)平等だという主張は、厳密に政治的な分野以外では、何らかの意味で劣っていると感じている人々の主張なのです。それが表明しているのはまさに、本人が受け入れることを拒んでいる、うずくような、チクチクした、身もだえするような劣等感なのです。それだから憤懣を抱くのです。そう、それだから彼は他人のうちのそうした点を腹にすえかね、それをおとしめ、消滅させてしまいたいと思うのです。(p277)