映画『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』

映画『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』

2018年の米国アラバマ州知事選に立候補したステイシー・エイブラムスの選挙戦を素材に、米国の選挙制度の問題点、さらには投票方法の課題を告発したドキュメンタリー。

建国時には全人口の6%である土地所有者の男性にしか投票権がなかった米国だが、南北戦争を経てすべての国民に等しくこれが与えられることになった。しかし、その後、共和党中心とする政治活動によってこれにさまざまな制限が加えられていくことになる。

憲法では平等の権利と謳われながら、ジム・クロウ法や人種隔離政策によって様々な制限が加えられた。また白人至上主義者による暴力行為によって黒人は選挙登録すらできない有様だった。

その後、公民権運動による投票権の平等化が連邦政府によって立法化したが、やはりこれを骨抜きにする各州での政治活動がすぐにも活性化していった。

現代でも投票権のための登録には写真付IDが必要な州が多くなったと言う。しかし、これを手に入れるには安定した住居、過去の投票行動の記録が必要となる。さらに有権者は投票権を行使する意思を何らかの形で明らかにしないと自動的に権利を剥奪される仕組みになっているという。

さらに投票所における投票システムの不備は明らかである。米国では選挙のたびに投票所に長い行列ができることは知られている。3時間や5時間列に並ぶのはザラであるという。

2018年の米国アラバマ州知事選でも候補者であるステイシー・エイブラムスでさえ受付で登録されていないと拒否される始末。さらに対立候補であるブライアン・ケンプでさえ同様だったのはお笑い草である。

つまり米国の選挙制度はそれぞれの時代で「有色人種、学生・若者、貧しいもの」を投票行動からいかに排除するかを目指して構築されていったのだ。

それでも長時間を並んでさえも投票を求める人々の列は感動的である。彼らに聞くと「すべての人に平等な投票権をもたらした先人の苦労に報いるため」と言う。

投票権は生まれたときから自動的に与えられるものではなく、先人が血まみれになって獲得してきたものであることを忘れていない証拠だろう。

ひるがえって日本では投票所に行列ができることはないし、開票システムもスムーズに動作しているように思う。しかし、有権者の一票の行使にかける情熱ははるかに低い。

考えてみれば一般投票権への道のりにもそれほど違いがあるようには思えない。これはどうした違いなのか。比較研究の事例がありそうなのでこれから勉強していきたい。