「台湾、あるいは孤立無援の島の思想」呉叡人
台湾人の研究者による台湾に関しての歴史および国際政治評論集。しかし、評論だけではなく詩的な表現や書簡形式、エッセイ風もありと多様な表現形式である。
台湾社会が、自国についてはもちろん、世界政治を、歴史を、日本を、東アジアをどうみているのかが分かる。
台湾をめぐる各国のせめぎあいが微に入り細に入り記述されるのでそれだけでも興味深いのだが、何よりも彼にとっての自国である台湾への絶望と希望が胸に迫る。彼は台湾の現状に悲観的であるが同時に高貴に前向きである(「もうやっていられない、でも、やっていくのだ」サミュエル・ベケット)。
呉は台湾のことを帝国の狭間にはまり込んだ「賤民」と呼ぶ。しかし、それは自己卑下ではなく高らかに「賤民宣言」をする。こうした歴史を持ち、こうした国際的立場にある国にしか持ち得ない特別な立場であることから「賤民」と自称するのだ。
台湾は連続植民支配の歴史、国民党政権による白色テロ、中国の国際的圧迫を受けながらも今日の市民参加型の民主主義(「日々の人民投票」「個人と国家の契約関係を絶えず更新すること」)を実現した。そのことはかつての宗主国であり民主主義の先輩であったはずの日本の立場を逆転した。私はそれを素直に羨ましいと感じる。
この本を読んでいてつくずく思うのは、日本の隣国(台湾と韓国)に民主制度があることの幸運である。
特に台湾の戦後史を見れば、優れた民主主義を自ら獲得することに危うく間に合ったという感がある。例え各種の国際機関からは正式には認められなくとも、その点で市民に支持された正当な民主国家であるとの評価は揺るぎないだろう。大国であろうとも民主的でない国(世界にいくつもある)よりも、台湾は高い尊敬と高い評価を勝ち取っているのではないだろうか。
日本では最近、台湾ブームであるという。観光地としての台湾、親日国としての台湾が人気なのだが、台湾と日本には辛い過去があった。また、台湾には国際政治に今なお翻弄されている現状がある。一方で多民族国家、社会運動、政治制度では世界中が目をみはる実績が顕れつつある。
この本は単なる観光地としての台湾に興味を持った日本人に、そうした今日の台湾社会をより深く理解するための最適な一冊であろう。
なんと言っても初めての政権交代(国民党・李登輝から民主党・陳水扁)が2000年。それから2008年に国民党への揺り戻し(政権奪還・馬英九)があってから、今日の再政権交代(民進党・蔡英文)が2016年。まさに今日の台湾社会は現代史を生きているのだ。
以下、いくつか特に興味を持ったことを挙げる。
- 日本だけが台湾研究の伝統を持っていること
- 台湾人が朝鮮戦争で従軍したこと。その軍人が後の文革で地方民族主義者とされ粛清されたこと
- 村山談話とは世界的に類を見ない旧宗主国による植民地支配への謝罪であったこと
- 2010年の五大都市選までの期間に市民運動が活性化し、「もうひとつの熟議」が出現したこと
- 台湾の市民運動が自らの社会に求めることは、「民主的、多元的かつ開放的・公正であること」「正義が保たれていること」「文化的想像力や豊かな生態環境があること」「進歩的な国際視野があること」「経済において持続的であること」
- 「民進党独力では不可能である。社会運動と連携しなければならない」(蔡英文のスピーチより)
- 台湾の市民運動が台湾社会の求心力であること
最後に翻訳が優れていることを指摘したい。誤字・脱字はもちろん、適切でない表現もまったくない。これは呉が日本語に堪能であることもあるのだろうが、翻訳者の駒込武の正確な仕事を称賛するべきと思う。