映画『日常対話』

映画『日常対話』

自分が母に愛されていないのではという不安から逃れられない娘。そのことを話し合うために彼女は映画を作ることにした。そういうドキュメンタリー映画。台湾から。

アヒルの子」「ぼけますから、よろしくお願いします。」など、娘がカメラを家族内に持ち込んで作る作品は今日ではドキュメンタリー映画のジャンルとなっている。

この映画でもレズビアン、ギャンブル好き、娘に無関心な母、その母へ複雑な感情を持ちながらも愛を求める娘、それぞれの内面の葛藤が見事に浮かび上がっている。

なぜレズビアンなのに子どもを産むことになったのか。なぜ娘である私を他人には養子と言っているのか。そして、娘と父の「関係」を知っていたのか、知らなかったのか。

母娘の関係でありながら話し合われることのなかった事が、カメラの前でつぶやくように初めて言葉にされる。

そうしたこの映画のテーマはもちろん素晴らしいが、映像がまた素晴らしい。侯孝賢が製作総指揮とあり、圧倒の映像美である。思えば「台湾、街かどの人形劇」も父子関係の葛藤を美しい映像で描いた作品だった。

母と娘の対話シーンでは照明は自然光か限りなくそれに模したもの。そして、クリアで自然な映像のカメラが母のアップ、娘のアップ、ふたりのロングで切り替えされる。音声も劇映画のようなクリアな録音で音楽もかなり控えめ。

これは技術も時間もかけているプロの仕事だ。手持ちカメラで勢いだけで作っている日本のドキュメンタリー映画とはかなり違う。

それに出演者の覚悟も大したものである。ドキュメンタリーだからもちろん一般人が自分についてしゃべるのだが、そうした準備の整った撮影現場でスタッフに囲まれても堂々としている。語ることは自分の過去や家族の不幸な出来事についてなのに。

そうした母のかたくなな態度、そして娘の固い意思は、まるでスクリーンのこちら側にいる(映画を観る)者と対峙するかのようだった。こうした表情は日本の家族ドキュメンタリーにはまず見られないのではないか。

アヒルの子」では映画公開についての家族の同意を得るために6年間かかったらしいが、この映画では双方納得してカメラの前に立っているように思う。

ところで、母がレズビアンであることを母の弟や親戚に聞くシーンがある。いずれも「知らない」「話したくない」と席を立つのだが、当時は同性愛が許されなかった時代であったことをうかがわせる。

同性婚自由化が法制化した今日の台湾だが、わずか40年前にもそうした時代があったのだ。私はこの急激な変化に「ダイバーシティを維持する」という台湾社会の強い意志を感じるのだ。

どうして台湾にはそれができて日本ではできないのか。それを考えなくてはならないと思った。

台湾で同性婚が可能になった初年である昨年の同性婚の件数が2939組に上ったことが明らかになりました。内政部(内務省)が(2020年)2月22日、最新の統計を発表したものです。性別の内訳は、男性カップルが928組で、女性カップルが2011組(約68.4%)となりました。
(中略)
全体の婚姻件数は13万4524組で、同性婚が占める割合は約2.2%ですが、同性婚法が施行された5月24日以降(約7ヶ月間)で2939組ですから、決して少なくない数と言えるのではないでしょうか。

(PRIDE JAPANコラムより)https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/news/2020/2/26.html