映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』Amazon Prime

映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』

有名なニューヨーク公共図書館の内側と外側を追ったフレデリック・ワイズマン監督作のドキュメンタリー。

同監督の『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』でもそうだったが、この映画でも一切のキャプションとナレーションを廃して、淡々と出来事と人々の会話をつなげるという構成。それで3時間25分を飽きさせない。

 

図書館とは言っても合計92施設、職員3,500人、50%が市からの補助、50%が一般からの寄付による予算によって運営されるこの施設の活動は多岐に渡っている。

収蔵資料の利用講座はもちろん、作家・アーティストのトーク、研究者講演会、読書会、コンサート。ゲストスピーカーにはエルビス・コステロやパティ・スミスもいた。その他にも詩人や作家、研究者らしいのがいたが私の知らない人だった。

また、多言語によるPC教室、高齢者のダンス教室、児童向けのロボットプログラミング講座から、就職フェア、アート展覧会もある。

さらには障害者向け福祉制度の案内、視覚障害者向け点字講座の様子もあった。

特筆すべきは通信会社と交渉し、同図書館の一般貸し出し用としてWiFiルーターを製品化しているなどの活動は、私の考える図書館職員の技能の粋を超えている。

 

舞台芸術図書館の舞台手話通訳教室の説明会の様子があった。ここでは手話通訳者がジェファーソンの独立宣言を使ってデモンストレーション。「あなたは怒りを持ってこれを読んでください。もうひとりのあなたは懇願口調で」と朗読させ、それぞれの様子を交えて手話通訳する。

このエキスパートのテクニックもすごいが、こうしたプロの技術を伝える講座を図書館が主催しているのだ。彼らの芸術と福祉への意識の高さが垣間見えるカットだった。

 

キャプションがないので名前は不明だが、ある作家(研究者?)によるトークが興味深かった。中世のアフリカ・モスリムの宗教者と国王の対立が、ひいては米国の奴隷開放運動の素地になったとする主張だ。

知識人であったアフリカ・モスリムの僧侶たちが国王との対立で奴隷となり米国に売られた。そして米国に奴隷として渡った彼らが、奴隷制度は間違っているというモスリムの知識を広めたのだ。それは南北戦争よりはるか以前のことだったという。

内容はもちろん興味深いのだが、こうした知識が公共の図書館という場所でフリーアクセスになっていること自体が素晴らしい。

 

また、別の連続講座の講師は若い有色人種の女性。テーマは米国建国当時の労働者問題と奴隷制度について。マルクスを引用し「そもそも米国に労働者問題は存在しません。それは奴隷制度があるからです。黒人奴隷がいるかぎり権利をふりかざす労働者は置き換え可能なのです」と語る。

きわめて刺激的な議論が自由に、かつ手際よく行われている。参加者は学生らしい者もいるが高齢者も多い。みな熱心にメモを取りながら聞いている。これも図書館が主催している知へのオープンアクセスなのだ。

 

また、たぶんハーレムあたりのごく小さな分館でのコミュニティトークの様子があった。ごく小さな部屋に普通の市民が集って、何を語るかと言えば生活の苦労などについてざっくばらんに。しかも、そのローカルトークには図書館の上級役員が参加しているのだ。

私も何度も経験しているが、こんなとき日本ではひな壇を用意してそこに行政の担当者を据えるか、会議机をロの字型に設置して、どちらもかしこまって話をするというのが多いのだが、このカットでは本当に狭い部屋にまさに膝を突き合わせてという状態なのだ。

参加者のひとりが言う。

「マグロウヒルは本当にひどい」
「それはどういうこと、もう少し説明して」
「マグロウヒルの教科書では、黒人奴隷は17世紀によりよい生活を求めてアメリカに渡ってきた『労働者』であると書いてある。それは間違いであると指摘されるとしぶしぶ対応するが、そうでないと放置だ」

こうした議論にその上級役員が同意しつつ真摯に自分の意見を述べる。それはコミュニティトークのあるべき形で、私にはちょっとした感動であった。

 

その他に館内の役員ミーティングの議論が何度も淡々と撮影されている。ミーティングのテーマは成果、予算、蔵書の方向(ベストセラーか研究書籍か)、電子書籍について、行政へのアピールについてなど多岐に渡っている。

この役員たちを見て思うのは、みな行政のプロだということだ。

カーネギーの意思である「知のアクセスを可能な限り広く一般に」というミッションに基づき、どう予算を獲得し、どう効果的に執行するのかということを熟知している。それはビジネスマインドと社会的ミッションの幸福な結びつきであると思う。

 

ということでこの巨大図書館の活動には圧倒されることが多いのだが、一方で「図書館がこんなに何でも手がけるのは行政サービスとして適切なのだろうか」という疑問も浮かぶ。

 

自分の住んでいる地域だったらどうだろう。

上記にあるような活動は、区役所の広報誌あるいは区のスポーツ文化事業担当外郭団体の広報誌に案内がある。区で活動する団体はこれに自分のイベントを掲載し、イベントに参加する者はその外郭団体かあるいは団体に直接申し込みすることになる。

アーティスト・トークは区の市民団体の主催で市から助成や後援を受けて文化センターで行うのだろう。障害者支援は区の福祉施設で、就職フェアは民間企業・団体の活動に区の事業課が協賛するのだろう。子ども向け講座はNPOが地域センターで主催し、それを市民活動課が後援する。

 

いずれにしても縦割りである。これまで疑問を感じたことはなかったが、文化支援活動と障害者福祉と児童福祉、ビジネス振興を別個に行うことは本当に適切なのかという疑問がこの映画を見て生じた。

 

決してニューヨーク市のやり方がベストであるとは言わない。

一方で集中することによる危うさも思い浮かぶ。常にオルタナティブについて考える必要はあるのだろう。また、もしかするとニューヨーク市ではそれぞれの分野の活動もそれなりの規模で行われているのかもしれない。

しかし、上記の活動が「知のアクセスを可能な限り広く一般に」というひとつのミッションに基づいてサービスを展開しているという点は高く評価できる。

いずれにしても本作は行政サービスのあり方を考える上で貴重な資料となるドキュメンタリーであると思う。