映画『NOMADLAND』Amazon Prime
高齢者のファーンが夫と暮らしていた街は主要産業である炭鉱が閉鎖になり、街そのものが消滅した。ほどなくして夫が死去。ファーンは社宅である家を失うことにもなり、やがて自分のヴァンで生活することを余儀なくされる。
ファーンはヴァンで寝起きして近所のアマゾンの集配工場に勤務することに。しかし、それは季節勤務のため、そこでの仕事が終わると別の仕事を求め各地を転々とすることになった。
映画は過酷なヴァンでの生活を克明に描き、また路上で知り合った人々との出会いを描くものである。過度な感情表現やストーリーの転換がほとんどない、淡々としたドキュメンタリー風味の映画。米国各地の厳しいが美しい自然や、人々の関わりをとらえた抒情的な映像が印象的だ。
しかし、私はこの映画は現代的な問題意識へも着地することが出来たのにしなかった点に不満が残った。
アマゾン労働者の過酷な労働条件が問題になり、組合活動が活発になりつつあると聞くが、この映画では一切触れられない。工場の労働者はひとり残らず幸せそうである。
また、高齢者が家を失い車上生活を余儀なくされることは社会問題だと考えるが、この映画にはそこに批判的な視点がない。逆に「ノマドはどこにでも行けるし、自由に生きることができる。私たちは幸運な者たち」というセリフがある。
それでいいんだろうか。うがった見方をすれば業界の実力者を批判することはできないということか。実際にこの映画を見たのはAmazon Prime Videoであった。
米国には昔から自由な暮らし、路上の生活に憧れる文化があった。西部開拓期、季節労働者、ケルアックの「路上」もそうだった。
それは経済活動に明け暮れる毎日を過ごす現代人による、憧れとして空想されるものであるのだろう。「持つ者」ほどそうした「何も持たない」ことにロマンチックな憧れが募るものだ。
しかし、現実には車上からIT企業に勤務する者が膨大にいるというカルフォルニア州のように、住宅問題は政治が解決しなければならない社会問題である。
そして私は、ノマドの暮らしをノスタルジアと叙情で描くことで良しとし、これを多くの人々が喝采して受け入れていることに、米国社会の分断を見てしまうのだ。
これを見て人々が「ふざけるな」「こんなものじゃない」という声をこそ聞きたいのだ。
私はこの映画のもうひとつの着地点が見てみたかった。ケン・ローチの映画が無性に見たくなった。