『台湾のアイデンティティ 「中国」との相克の戦後史』家永真幸
本書は有史以降の歴史、現在の人種構成に至った理由、日本統治時代の近代史、国民党一党支配の現代史、それ以降の民主化への道のり、近現代における中国との関係など、この国を知るための知識を手際よくまとめた一冊である。
もちろんそれ以上に、本書は現代の台湾がどうやって「自由、民主、人権、法治」を重視する社会に至ったのか、その過程に共和国と米国がどのように影響したのかを国際政治関係を含めて明らかにしている。
また、書名にも関わらず本書は台湾人による日本への視点に明確なビジョンを与えてくれる。いわく「台湾人は本当に親日か?」「安倍晋三への評価は本心か?」「八田興一への敬愛は本当か?」などである。
いずれについても多様性を指向する現在の台湾人アイデンティティの形成に至った過程を本書でじっくりとたどることによって納得の行く理解が得られるであろう。
さて、私は特に国民党独裁時代の抑圧の実態、白色テロ時代の国民への弾圧をまとめた第2章が興味深かった。
この時代の反体制活動の構造が決して単純なものではなく、台湾独立派と共和国との連帯派などが複雑に絡み合って一枚板になり得ないこと。
それが陳智雄事件、自由中国事件、民主台湾聯盟事件など多くの実例を基に記述されている。台湾人の国民意識が今日に至ってもいかに複雑であるのかを意識させられる章である。
その点で本章で引用されている元立教大学教授の戴国煇の「省籍矛盾を強調することの問題点」という指摘(p.62)は示唆するところが大きい。
弾圧のメカニズムが錯綜した複雑なものであるにもかかわらず、現在(一九八八年)、本省人の大部分は、自分たちを被害者とだけみなし、加害者は国府(中華民国政府)・国民党・外省人と決めつけ、単純化して呪詛する。嫌悪の情をあらわにすることさえも少なくない。
当時の国府も国民党も一枚板では決してなかった。(略)一部では、自分たちの対日協力をめぐる悪事の露見の防止に、これぞよき機会といわんばかりに、ライバルの消去に、密告と官憲の手を借りた暗闘と暗殺の事例も少なくなかったと伝えられる。
ともあれ、公開裁判ではなく、秘密裏の連捕と暗殺だった。下手人が誰であれ、弾圧の方式と内容のいかんを問わず、悪の元凶のレッテルは、国府・国民党・外省人に貼られる。(略)
悲劇の傷痕だけが残り、疼き続ける。そして日本植民地時代の「共犯構造」の従犯者たちらは、二・二八事件を機に、いつのまにか民衆の視野と記憶から巧みに身を隠した。(戴国煇『台湾』)
また、戦後の日本政府による台湾人(中国人)の扱いを取り上げた第3章も興味深い。呂伝信、林啓旭、張栄魁の強制送還問題。陳玉璽、柳文卿、劉彩品、林景明と日本政府の対立など今となっては歴史に埋もれた多くの実例を取り上げてこの時代の台湾と日本の関係を明らかにしている。
戦後日本社会の暗部として忘れてはならない歴史であろう。思い出せばこの事は当時の活動家間では、直接関わったものは少ないながらも知識や情報としては一般的だったように思うが。
(前略)現在の台湾社会は、政府が強権を行使して秩序や安定を維持することは認めながらも、国家暴力が市民の自由を抑圧するのをいかに防ぐかをきわめて重視する。また、対岸の中国大陸との人的交流や経済活動が健全に営まれることを望むとともに、国際社会の構成員として尊重され、貢献できることを願っている。台湾で定期的に行われるようになった選挙では、緊張感のある競争のなかで候補者と有権者が一体となり、台湾が望ましい状態あるための絶妙なバランスが模索されているように見える。(後略)[p.247]