「苦海浄土」石牟礼道子

「苦海浄土」石牟礼道子

ずっと若い頃に読んだのだが、その時はむしろ事件の経緯と活動に興味があり「これは違う」との感想を持ったものだった。今日に読み返してみるとこれは単なるルポルタージュではなく、ルポルタージュを超越したものだった。

本書は中牟礼による聞き書き部分と公式書類の引用部分が交互に現れる形式である。その聞き書き部分は中牟礼の巫女的要素によるものであると言われている。

さて、その聞き書き部分で特に胸打たれるのは、事件の悲惨さに関わらず美しい水俣の生活風景、また患者の様子である。

「海の上はよかった。ほんに海の上はよかった。うちゃ、どうしてもこうしても、もういっぺん元の体にかえしてもろて、自分で船漕いで働こうごたる。」(本書 p150)

「舟の上はほんによかった。イカ奴は素っ気のうて、揚げるとすぐにぷうぷう墨をふきかけるばってん、あのタコは、タコ奴はほんにもぞかとばい。」(本書 p154)

というように本書には多くの地元民・当事者のエピソードがある。

私が特に打たれたのは第7章「昭和四十三年」で、坂上ゆき女が園田厚生相に発した「て、ん、のう、へい、か、ばんざい」と叫ぶ場面の記述である。チッソといういち企業によって水俣病にされた患者がその状況を訴える機会を得ながらそれができず、絞り出された言葉である。

私はすべてのドキュメンタリーはこのようなシーンを記録することを志向するべきではないかと考える。

それにしても毎回水俣事件に触れるたびにやるせない気分になるのは、当事者に対する地元の意識である。

単なる田舎であった地元に最先端の新たな事業を興し、インフラや教育などで他地域に伍する立場をもたらした「会社」に対する恩。一方で目の前で苦しんでいる患者や漁業者に対する後ろめたさ。生活と倫理の相克。

これはすべての産業公害の地元における共通した意識である。足尾鉱毒事件から現代の各地の原発招致とその結果に共通する構図である。

「タダ飯、タダ医者、タダベッド、安気じゃねぇ、あんたたちは。今どきの娑婆では天下さまじゃと、面とむかっていう人のおる」(本書 p311)

「今度こそ、市民の世論に殺されるばい」とはだしで訴える患者の声。

そしてやがて患者にはその保証・賠償という冷たい現実が突きつけられる。

おとなのいのち十万円
こどものいのち三万円
死者のいのちは三十万円(本書 p136)

本書についてはもっともっと言うべきことがあるのだが、むしろ多くの人に「ただ読んでほしい」というのが正しい気の持ちようだと思った。

また、水俣病事件に触れて、あらゆる真剣な活動は義憤から生じ、すぐれた言葉によって永遠となるのだ、というのも私の得た結論である。

本書巻末に紛争調停案『契約書』資料がある。怒りを持ってこの条文を忘れないでおくことにしたい。

第四条 乙は将来水俣病が甲の工場排水に起因する事が決定した場合においても、新たな保証金の要求は一切行わないものとする。(本書 p409)