アートイベント一覧

性差(ジェンダー)の日本史@国立歴史民俗博物館

性差(ジェンダー)の日本史@国立歴史民俗博物館

古代、中世、近代の歴史展示からジェンダーを語るという展示会。

鎌倉時代の仏像から往生を願っての紙片や毛髪が大量に発見されたものが興味深かった。紙片にはそれぞれ氏名が書かれており、女性の名前も大量にあったという。法然と遊女の逸話から当時の仏教においては女性は往生できないものとされていたと考えていたのだが、そうではないらしい。

また、近世における髪結いという職業が女性にものから男性へと強制されていった過程も興味深い指摘だった。遊女の生活を彷彿とさせる展示は歴博ならではの物量と技術だったと思う。

週末の午後だったがこのテーマでこんなにと思うほど来場者がいた。しかも、女性の研究者か学生が多かった。熱心にメモを取ったりキャプションを読んだりしていた。

歴博は都心から離れていて便利な場所とは言えないが、テーマ設定と展示内容によって多くの集客が可能なのだと分かった。この企画展ではSNSの活用も目立った。

https://www.rekihaku.ac.jp/outline/press/p201006/


「ハマスホイとデンマーク絵画」展@東京都美術館

「ハマスホイとデンマーク絵画」展@東京都美術館

数年前にあったハマスホイの大規模個展が忘れられなくて行ってみた。前回はなんと2008年だから10年以上前になるのか。

ハマスホイは新しいのがなくて、しかも前回見た建物のがなくて少しがっかり。しかし、それ以外のデンマーク作家の部屋が素晴らしくてしばし滞在。

ハマスホイと同時代の作家による室内がよかった。ラウリツ・アナスン・レング「遅めの朝食、新聞を読む画家の妻」のリラックスした親密さ。カール・ホルスーウ「読書する女性のいる室内」の構図の妙。ギーオウ・エーケンの「飴色のライティング・ビューロー」は、磨き込まれた家具に窓からの光が写り込んでいる様子が北欧の白くて強い光線を思わせて秀逸。

その他にもスケーイン派と呼ばれるデンマーク北部の景色とそこに暮らす人々を描いた作品群が心地よい。ピーザ・スィヴェリーン・グロイア「スケーイン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーイ・クロイア」ではゆったりとした時間の過ごし方と親しい人間に対する親愛の情が伝わってくる。

展覧会概要によるとデンマーク人は「ヒュゲ(くつろいだ、心地よい雰囲気)」を大事にするらしいが、展示会前半でそれが伝わった。そこがはっきりとしたテーマとしてあり、展示会としては楽しめるものだった。

つくづく思うが、映画1800円、単行本1800円なら、展示会1600円は同じくらい楽しめる体験を提供できるものと再認識。

https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_hammershoi.html

 


話しているのは誰? 現代美術に潜む文学@国立新美術館

年齢や実績、表現手法に多様な作家6名によるグループ展。キュレーターの意識が顕になるこうした展示会は好み。それぞれに大きなスペース(とおそらく大きな制作費)を与えての贅沢な展示は、見る者の気持ちもリッチにさせる。

最初の部屋は田村友一郎。米国の田舎町のナンバープレートというモチーフから始まり、それが「Oar(オール)」>「All(すべて)」という認識へとつながるインスタレーションと映像の表現構成は見事。映像も最後まで楽しめた。

ミヤギフトシのパーソナルな写真作品と音声も広い部屋のどこで聞こえているのかと探すのが楽しい。

ベルリンオリンピックと原爆材料となるウラン、その日本への輸送計画をモチーフにした小林エリカのインスタレーションもよかった。テキストと巨大な映像、写真にオブジェと「読ませる」という意味では最も「文学」っぽい表現だった。

一転して豊嶋康子はクラフトマンシップにあふれる作品群で、ものづくりと手作業の感覚が伝わる。見ていて最も心躍る部屋。

山城知佳子は30分間の映像作品のみ。今回のは演出と物語性の多いものだった。その分映像の力はなかったような。

見るに耐えないが忘れることも許さないような写真群が北島敬三の部屋である。1980年代に東欧で撮ったポートレートはどうしてこんなに醜いのだろう。どの人物もニコリともしていない。わずかにふたりほどがうっすらと微笑しているがそれも気味が悪い。こうした印象が対象によるものか、それとも撮影者によるのかを考えさせる。「美術と文学」の本質を探ることを見るものに呼び覚ますという点ではこちらが遥かに優れている。

タイトルに「文学」を冠してこうした作家を呼んだキュレーターの構成が素晴らしいのか、それともまず作家を決めてからタイトルを後付けしたのか判断できないような展示会だったが、十分楽しめた。金曜日の夜は21時までというのも(人が少なくて)良い。

https://www.nact.jp/exhibition_special/2019/gendai2019/


「帝国日本」の残影 海外神社跡地写真展@横浜市民ギャラリー

非文字資料研究センターによるこの写真展のことを知り、急遽野毛山まで行ってきた。横浜市民ギャラリー、遠い。桜木町すぐにあったときは便利だったのに。

写真展は帝国日本によって戦前・戦中にアジア各地に建てられた神社の現状を探し出して、その跡地を撮影したもの。

助成事業ではあるものの、執念を感じさせる仕事だ。古い地図で場所を調べ、現在の地図でそれを確認。そして現地に足を運び、現地の人に話を聞いて撮影する。

その足取りは、韓国、北朝鮮、台湾、中国、南陽諸島と多岐にわたる。あるものは市民公園なっており跡形もない。あるものはかろうじて神社の礎石が認められる。また、ジャングルの奥、原生林に埋もれてひっそりとまだ建っている鳥居もある。

こうした行為がどういう意味を持つのか分からない。そして調査・研究とはそうあるべきものであろう。

しかし、歴史に埋もれるということが「実際に」どういうことなのか。それが可視化されるという意味はある。資料読みが図上でピンを打つだけではないインパクトが間違いなくある。

以前、下道基行の「無題(鳥居)」という作品を「アトミック・サンシャインの中へ」で見た。これもアジア各地の都市をめぐり、神社の鳥居が現在どうなっているのかを撮影したものだった。これはあくまでも作品であったといま思い返している。

http://himoji.kanagawa-u.ac.jp/news/index.html#p-802


No Museum, No Life?―これからの美術館事典  国立美術館コレクションによる展覧会 | 東京国立近代美術館

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