映画一覧

映画「COME AND SEE(邦題:炎628)」

映画「COME AND SEE(邦題:炎628)」

1985年公開、ソ連制作の戦争映画。ナチスドイツ侵攻時のベラルーシ民間人への虐殺を描いた作品。監督のエレム・クリモフはこれ以後、映画を撮っていないという。

パルチザンに参加を試みた少年兵と森で出会った少女。家族のいる村での虐殺などを経て別の村で保護されることになるが、そこではさらに残虐な体験をすることになるというストーリー。邦題はその時期に住民とともに焼かれた村の数である。

映像、美術、演出、演技、シナリオ、音声という映画のすべての要素を極めた映画表現の傑作。その表現のテーマは言うまでもなく戦争の残酷さ、あるいは人間そのものの残酷さである。

それを表現するのにまず少年と少女の変化がある。あどけない様子が最後にはどうなったのかを見ればそれは明らかである。映像では人物の顔・表情のクローズアップを多用しており、内面の変化が表情に刻まれていく様子が恐ろしいほどだ。

自然光による撮影はドキュメンタリーを思わせ、いつ画面に死が現れてもおかしくない気分にさせる。また、当時としては新しかったであろうステディカムの映像は人物のあとをどこまでも追いかけ、逃げまどうしかない彼らの恐怖に一体感を覚える。

地味なアンビエント系の音楽も効果的。また、高空を飛ぶ偵察機の音、人の咳き込む声、蝿の音など音声効果も素晴らしく、この緊張感は映画が終わっても永遠に続くのではないかと思わせる。映像はシークエンスごとに区切りとなるが、音声効果はその時の気分を継続させるというテクニックなのだろうか。

武器などの小道具やドイツ軍の衣装は本物を使ったという。また、銃撃には実弾を使い、牛が撃ち殺されるシーンでは本当に実弾を撃ち込んだらしい。当時の共産圏映画らしいこだわりである。

この映画をメディアアートとして評価する声もあるが、この映画の価値は作家が表現するべきテーマを明確に認識し、それをあらゆる技術を尽くして作品に結実させたということである。上記のようにそのテーマはホロコーストをおこした人間の残酷さである。

本作品をいかなるホラー映画より恐ろしい映画であると評する評論があり、こちらも参考になる。

The Scariest Film Ever Made ISN’T a Horror Film
Come and See (1985) Movie Review
Katie Mitchell introduces Come and See | BFI

 

come and see trailer

映画『島にて』

映画『島にて』

自粛期間が明けて今日から映画館の再開。早速ポレポレ東中野で見てきた。会場は2席離して利用可なので経営的には辛いだろうなと思ったが、久しぶりの劇場で良質なドキュメンタリーを堪能。

舞台の飛島は、山形県酒田市から高速フェリーで75分の離島。産業は漁業中心で人口は140人ほど。一時期1,200人を超えていたのですっかり寂しくなった。小中学校は建物は立派だが生徒は中3がひとり。彼が卒業すると学校は休校。校長、教頭、教諭、養護の先生たちは街に戻るのだろう。

高齢者が多いのはもちろんだが、出戻りの若者がイベント会社などを興して頑張っている姿もある。

どこの過疎地域にもある高齢化と町おこしのストーリー。同じようなドキュメンタリー映画、反原発の島とかアートの村とかのはたくさん見た。

この映画の監督は「ただいま それぞれの居場所」や「9月11日」で介護バカを自称する若者を描いた大宮浩一。それから「桜の樹の下」で妖精めいた団地の独居老人を描いた田中圭。

高齢者の暮らしを取り巻く暮らしが綿密に描かれていた。おばあちゃんとかおじいちゃんの聞き取りにくい方言もまた別世界めいている。

映画にはこれからこの島がどうなるとか暗示すらないのだけど、それがきっぱりとしていい。

所詮映画作りはある期間いて、そして去っていくもの。それを肯定も否定もしていない。それが私にはかえって心地よかった。

ドキュメンタリー映画『島にて』予告編

映画『冬冬の夏休み』

映画『冬冬の夏休み』

これも侯孝賢の1984年の作品。

母親の入院で田舎の祖父の家で夏休みを過ごすことになった小学生の冬冬(トントン)と妹の婷婷(ティンティン)。地元の子どもたちや大人たちとの出会いを描いた佳作。

20年前初めて観たとき都会の子が地元の子どもたちに受け入れられるのに驚いた。日本の映画だとこんなときはいじめられるものと決まっているのに。風景や日常も日本と同じようであり微妙に違うのだけど、子どもの気持ちのありようも違うのかと感心した。

地元の名士で医師の祖父とダメ人間の叔父。その彼女。暴力事件を起こす同級生。そしてティンティンに慕われる知恵おくれの女、寒子(ハンズ)。

風景も人も素晴らしい。少年時代のひと夏を描いた映画としてはこのうえない作品。

冬冬的假期.avi

映画『戀戀風塵』

映画『戀戀風塵』

侯孝賢の1981年の作品。オープニングで十份の駅が見えたときからなぜか懐かしくなる。別の国なのに。

山村から都会に出できた男の子と女の子の出会いと別れという素朴なストーリー。村の広場で映画会。不器用で危うい都会の暮らし。そして兵役。昭和の日本でもこんな話たくさんあったけど微妙に違っているのが日本人にとっての台湾映画の魅力。

主人公のおじいちゃん役は戯夢人生のあの李天祿(リー・ティエンルー)。ぶつぶつと孫を諭す姿が似合ってる。

登場人物は本省人中心で話す言葉も台湾語らしい。標準語との区別くらいは出来るようになりたいものだが。

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映画『悲情城市』

映画『悲情城市』

侯孝賢監督の1989年の作品。ヴェネツィア映画祭金獅子賞を受賞。

牯嶺街少年殺人事件もそうだったけど、こんな映画が台湾で作れるのかと世界中が驚いたのではないか。私もびっくりした。

カメラが低めに固定されており、その枠を人が出たり入ったり。そのカメラも扉や壁で両側面が制限されていることがある。また、映像外の声で延々と会話が続いたりする。

長回しのカットが多くそれがストーリーをすすめるわけではない。また、人物の所作がうつくしい。日本語のセリフもきれいに聞こえる。今どきの目まぐるしい映像に慣れている目にはかえって新鮮なのではなかろうか。

これも2時間40分と長い映画。しかし、国民党支配の始まった頃の息苦しさと、将来への不安に覆われる日々に、それでも人々は生きていく。このゆったりとした映画時間でこそ、そうした時代は表現できるのではないか。それが成功した数少ない実例であろう。

悲情城市片段

 


映画『インターステラー』

映画『インターステラー』

ワームホール、ブラックホール、高重力下での時間、事象地平など宇宙科学注目のアイテムをきちんとビジュアル化。また、きちんと人工重力のある場所とそうでないところを描いていてこれも好印象。そこがクローバーフィールド・パラドックスとの大きな違い。あちらではいつも地面に脚がついていた。

しかし、インターステラーでも地球の重力圏を脱出するのにロケットを使用したのに、水の惑星や氷の惑星の地表を立つのにあの小さなボートだけで可能というのは何故なんだ。ブレードランナーでもそうだが(回転翼でもないのに)垂直に地面を離れる乗り物が出てくる時点で辟易とする。それにロケットの打ち上げを研究棟内でするのか?

それにストーリーのキーが例によって「高次の存在」で、それが主人公を多面的空間に送り込み、時間を超えたメッセージを送信させるという展開にがっかり。その後の展開もストーリーのご都合的。

映画『インターステラー』予告編

映画『ママ、ごはんまだ?』

映画『ママ、ごはんまだ?』

台湾名家の父と日本人の母、そして一青姉妹は姉の妙が幼少のうちに日本へ引っ越しした。この映画は、その姉が父の人生、母の人生を追って人と出会い、これまで気づかなかった人生の事実に出会うというはなし。

昭和の日本、揺れる台湾社会、そして女手ひとつで娘たちを育てることになった母の人生。それは平凡なものではあるがその人生の機微こそが尊いものであるとこの映画は認識させてくれる。

思えばこうした市井の凡人の人生を綿密に描いた映画が昔はたくさんあった。そして私たちはそれに涙したものだ。

映画ではこの母が台湾から持ち帰った台湾料理が存分に振る舞われる。台所には大きな丸いまな板と幅広の中華包丁。そして中華鍋に蒸し器がある。「ごはんよー」の声とともにテーブルに並べられた料理の美味しそうなこと(煮込み豚足)!

それからダイナミックな昭和のママを演じた河合美智子がこんなにいい役者だったとは知らなかった。脳梗塞で入院したと聞いたがそんな様子はぜんぜんない。

『ママ、ごはんまだ?』映画オリジナル予告編

映画『牯嶺街少年殺人事件』

映画『牯嶺街少年殺人事件』

80・90年代の台湾映画界はめくるめくばかりの傑作ラッシュ。この映画はそのうちのひとつ。エドワード・ヤン監督が4時間近い作品をよくつくったと感銘を受けたことを思い出した。現在NETFLIXでこの長い版が見られるので数十年ぶりに見てみた。

別に難解な映画ではない。多感な年齢の少年少女が社会に翻弄されながら関係をこじらせていくというだけのストーリー。しかし、60年代の台湾社会背景を理解することは必須だろう。国共内戦後の台湾社会。外省人と内省人の関係。外省人同士の格差。米国文化への憧れなど。

それに主人公をめぐる家族、学校の友だち、抗争するギャング同士などの人物が錯綜して人間関係がわからない。それを親切に説明してくれるテロップもナレーションもない。

しかし、それが主人公である小四(シャオスー)の感覚か、と巻き込まれてみればより映画の世界にどっぷりと浸れる。それはまさに映画を見るという体験であり、歓びである。

主人公の父も母もいい、上の姉も下の姉も。ファム・ファタールの小明(シャオミン)も小馬(シャオマー)も小虎(シャオフー)もよかった。

ひとりひとりの人物にじっくりと取り組んだ結果が4時間の尺なら率直に仕方ないと言える。4時間の尺に納得がいくという意味でも空前の傑作映画である。

牯嶺街少年殺人事件

映画『ブラック・クランズマン』

映画『ブラック・クランズマン』

黒人がKKKに潜入捜査?スパイク・リー監督の緊張感たっぷりで痛快な潜入捜査モノ映画。誰もが楽しめる映画に仕上がった。ブラックは美しく演説も所作もなめらかで美しい。それに比べてKKKの白人は知的に低級に描かれるのは仕方ないか。エンディングが現代の状況につながっていくところがスパイク・リーの本領発揮。白人か白人みたいな有色人種しか出てこない映画に食傷したらこちらでデトックスするといい。

映画『ブラック・クランズマン』予告編

映画『ブレードランナー 2049』

映画『ブレードランナー 2049』

前作の世界観や造形をお金をかけて大きくしただけ。その分密度が下がった。雪の降るロサンジェルスや郊外のディストピアも既視感。追跡者が追われるものになるというのは前回と同じ。違うのは追跡者がレプリカントであるということ。自分だけは特別と思いたがる人造人間の心象にじっくりと取り組めば原作のリスペクトとして成功したかもしれないのに。結局は純粋な人間が尊いというメッセージにがっかり。映像と音楽だけをマッシュアップで楽しむ映画、例えばこちら。

The Beauty Of Blade Runner 2049