アニメ『ミッドナイト・ゴスペル』
NETFLIXオリジナルアニメ。サイケでグロな映像を背景に、ドラッグ、死と再生、瞑想についてなどスピリチュアルで哲学的な話題を延々と繰り広げるという作品。各エピソードのゲストは薬物医、宗教家、死刑囚、オカルト研究家、葬儀屋など実在の論客。英語もわかりやすい。こんな時期には思いっきりぶっとんでみたい。
ゲストの紹介と用語集はこちら。https://kamitsuru.hatenablog.jp/entry/2020/05/12/180000
アート系イベントへのお出かけとみた映画、読んだ本の記録です。
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アニメ『ミッドナイト・ゴスペル』
NETFLIXオリジナルアニメ。サイケでグロな映像を背景に、ドラッグ、死と再生、瞑想についてなどスピリチュアルで哲学的な話題を延々と繰り広げるという作品。各エピソードのゲストは薬物医、宗教家、死刑囚、オカルト研究家、葬儀屋など実在の論客。英語もわかりやすい。こんな時期には思いっきりぶっとんでみたい。
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『アナイアレイション-全滅領域-』みた。ストーカー(タルコフスキー)のリスペクト作品だと思う。その場所に深く入り込むほど自分の心の奥底に向き合うことになるというところが。その心象を具現化した、異常かつ美しい風景や造形も素晴らしい。花と化す人間。浜にぽつんと立つ灯台。心通うことのないパートナーとのやりとりなど。
リメイク版(2018)『サスペリア』良かった。ダンス学校の廊下に響く下品な笑い声。ハイジャック事件に騒然とする70年代ベルリンの世相。誰もが傷を負った戦争の影。儀式としてのモダンダンスの振り付けも、悪夢の映像も。クロエやティルダの扱いを見ると監督はかなりのやり手であることがわかる。これは旧作の換骨奪胎ではない。旧作へのリスペクトに溢れた昇華という。タイトルバックのタイポグラフィも色使いも秀逸。
映画「チャック・ノリス vs. 共産主義」
再現映像とインタビュー映像による、共産主義時代ルーマニアの地下ビデオ産業を描いた映画。秀逸、タイトルもよかった。
国外からの情報閉鎖状態だった当時のルーマニアでは、非合法ルートで持ち込まれ秘密裏に個人の住宅で行われるビデオ上映会が流行した。そこではアクション、コメディ、サスペンスものなどが上映され、それが閉鎖国家の国民にとって西側の空気を感じる時間でもあった。
主にVHSテープをハンガリーから密輸した者は大儲けしたが、自宅で秘密裏に行われる上映会を主催した者たちも大いに儲けたらしい。
当時見たチャック・ノリスものやカンフー映画などを思い出して大いに盛り上がる当時の若者がインタビューに多く出て、こうしたB級映画が結果的に共産主義社会を侵食していったことは痛快だった。
面白いのがそれらのビデオでは字幕ではなく音声を重ねる方法で翻訳していたこと。しかもほぼすべての同じ女性の声で表現されていた。
それを実際にしていた人が出ているのだが、これは非合法なことで危険なことでもあるのだが楽しくてやめられなかったと言っている。当時、ビデオを見てその声を聞いていた人々が彼女に様々なイメージを投影していたことなども興味深く微笑ましい。
チャウセスクの追放と殺害、国境の開放とともにこの産業は廃れてしまうのだが、こうして映像を見ていた人々の記憶は残る。個人の住宅で警察の取り締まりに怯えながら荒い映像を見ている人々の姿は、自主上映のひとつのかたちだと思う。また、映像というものがいかに社会にインパクトを与えるものかとあらためて感じた。
映画「ガザの美容室」
パレスチナのガザといえば想像通り銃声の絶えない紛争継続地区だが、そこある美容室に集う女たちのひとときを描いた密室劇。
容色の衰えた女、結婚間近の若い女、出産を控えた女、おしゃべりで詮索好きな女、信仰に厚い女、暴力的な恋人に翻弄される女などを配して、外では銃声や爆音が響く。キャラクターと舞台設定の作り込みが過剰だった。想像通りで救いのない展開だった。
ドキュメンタリーじゃなく劇映画なんだから突き抜けた展開もできたはず。タイトルを見ただけで本編はみなくてもすむような分かりやすい映画だった。
映画「彼らは生きていた」
公開翌日に青山に行ったらまさかの満席!で、翌週の金曜夜の回。これまた満席で追加席まで出てた。なんでドキュメンタリー映画なのにこんなに人気があるんだろう。
100年前のフィルムを最新の技術でフレーム補間し、彩色。音声もアーカイブのテープを補正してるのでクリアー。そんなことで驚くような映像に仕上がった。まるで近頃のビデオで撮った映像のよう。
しかし、苦境でもユーモアを忘れない、捕虜の扱いも人道的であるという英国人像。そして戦争は愚かしいもので決してしてはいけないという平凡なテーマには辟易とした。
考えてみれば第一次世界大戦の少し前にボーア戦争があり、中国では義和団の乱があった。この時代に限らず英国はいつでもどこかで戦争をしていたのだから、監督はどうしてこの戦争を取り上げたのかわからない。
私はドイツ人捕虜のシーンを見ながら会田雄次の「アーロン収容所」を思い出した。この本では英国人がアジア人の捕虜をどう扱ったのか。人種や種族に格差を設定し、現地人同士を対立させるというのが植民地経営ということがわかる。
映像テクノロジーとしては素晴らしいが、心をうつドキュメンタリーではない。優れたドキュメンタリーはそのテーマを取り上げる必要があった製作者の心情が作品から透けて見えるものだ。
映画「台湾、街かどの人形劇」
台湾の伝統芸「布袋戯」の名人とその師である父との葛藤、そして消えゆく芸能を受け継ぐ弟子たちを描いたドキュメンタリー。映像はまるで消えゆく芸を記録するかのような固定カメラでの長回し。退屈するかと思いきや緊張感あふれる映像であった。
後日、台湾人とこの映画について話すことがあったが、彼の地での伝統文化への援助のなさは日本の比ではないという。こうして映像として保存されることなく消えていった伝統や芸能がどれだけあったのかと暗澹たる思いがする。
監督のマイク・ミルズはミランダ・ジュライの配偶者。だからという訳ではないのだが、何となく「君とボクの虹色の世界」を思い出した。どちらも女性目線の映画である。
劇中の息子が母親を評して言う「不況時代の世代」の女性をアネット・ベニングが演じるが、彼女以外にも10代や20代の女性が登場する。あとは10代の少年と40代の男性が。いずれも1979年という年を生きた人間たちである。
1979年、西海岸の小さな町(サンタバーバラ)の出来事、パンクミュージック、ベトナム戦争の影響、フリーセックスの時代、母親の服薬による子どもへの薬害、カーター演説、フェミニズムなどが織り込まれていく。
そうした時代を描くこととは別にそれぞれの登場人物の来し方が挿入されて、それが良き映画時間となっている。エピローグでその後の人生も。
良い長編小説を読んだときのような心地よい満足感を与えてくれる映画である。
映画「人生をしまう時間(とき)」
以前読んで感銘を受けた「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」をベースに、その著者と所属する在宅医療ステーションに密着して、さまざまな死を迎える人々をとらえたドキュメンタリー。
視覚障害のある娘と暮らす末期がん患者の老人。これまた末期がんである50代の娘と介護する高齢の母。近所に暮らす娘がいながら独居で死を迎える女性。
さまざまなエピソードがあるが、どれも高齢者の生と死を美化することなく鮮明な映像でとらえている。
子どもとか若者の死を対象にしたきれいなドキュメンタリーは多いが、本作品は違う。それは自分の身近な者がいつかなるものであり、自分もいつかはなるものである。
実際、100歳超えた独居老人の死にあたって、娘やソーシャルワーカーに「おつかれさま」と声をかけられて逝く姿は崇高であり、美しささえ感じた。自分はどうやって逝きたいのかを考える材料がここにはある。
現代の医療は死を敗北と信じ、できるだけ延命することを目的としている。その一方でもう手の施しようもなくなった病の人々に、治療するでもなくただ寄り添うだけの施設がインドにある(マザー・テレサの死を待つ人の家)。
これまで患者に何もできないことから目を背けていた、と登場する医師が語っている。これからもそれでいいのか、と。
「死を生きた人びと」には、肉親の老いや死を現実と思えず、高齢の親を病院に送りそれから目をそむける人が多数いるとの指摘がある。
映画の中では医師が看護にあたった家族に「あなたこそおつかれさま」とねぎらっているのが忘れられない。死を看取ることは死にゆく人のことでもあり、それに深く関わる家族の人生のことでもあるのだ。
私はできれば体も言葉も自由にならず、周りに迷惑をかけつつ、しかし死とはこういうものであると、若い世代に目の当たりにしてもらって死にたいと思っている。
渡辺京二が「死民と日常 <私の水俣病闘争>」で取り上げていたこの映画、たまたま川崎市民ミュージアムで上映するというので見に行った。
あの有名な蛸獲りのシーンも含めて、ほぼすべてが患者さんとその家族の日常であった。その日常には美しい海と悲惨な病が並存している。そして患者たちが笑顔であることが多いのはカメラを向けられているからだろうか。
当時の日本人はカメラの前で怒りや激しい感情をあらわにすることがなかったのではないか。そんなことを思ってみていたので、本作のハイライトとも言える株主総会のシーンには余計に揺さぶられた。
黒字に白抜きで「怨」の旗がはためき、患者団は白装束の巡礼姿。襟元の同行二人とは死んでいった家族のことか。不遜ながらビジュアルでは圧勝していると思った。
このシーンの迫力は尋常ではない。カメラは患者を上から下から間近に捉え、また壇上の経営陣をなめまわし、患者と相対した社長の表情をアップで撮る。「笑って言うことか」「いや笑っていません」「いや笑った」とのやりとりも延々と。
ニュース映像ではなく距離を置いたドキュメンタリー映像でもなく、体をはった撮影である。患者側に立つという自分の位置を明確に自覚した映像だった。
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