『中動態の世界 意志と責任の考古学』國分功一郎
ちゃんと読めなかった。西欧の哲学・思想を語るときには、もはや思想を伝えるための言語を構築することから始めないとならないのではないか。無批判に従来の思想書にある言説で自分の考えを披露して満足しているようではこの分野が衰退するするのは無理はない。すでに衰退しているので復活もとうぜん無い。
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『中動態の世界 意志と責任の考古学』國分功一郎
ちゃんと読めなかった。西欧の哲学・思想を語るときには、もはや思想を伝えるための言語を構築することから始めないとならないのではないか。無批判に従来の思想書にある言説で自分の考えを披露して満足しているようではこの分野が衰退するするのは無理はない。すでに衰退しているので復活もとうぜん無い。
『どもる体』伊藤亜紗
吃音に関する身体的および精神的分析。実例は多くはない。サンプルも適切とは思えなかった。筆者はアート分野の方らしく、ケースの解釈をその方面へ強引に持っていくことが多かった。吃音当事者が自分の問題として読むのであれば、もっと適切なものがあるのではないだろうか。
『認知症の私から見える社会』丹野智文
筆者は29歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された当事者。現在も自動車販売会社で事務職のポジションで勤務している。
本書で繰り返し伝えようとしているのは、認知症当事者に決めさせろということ。
いわく、認知症と診断されたとたんに財布も自動車も取り上げられ家族が保護する対象になってしまう。しかし、当事者は昨日までと違う人間ではなく自分の人生を自分で決めていきたいと思っているのだ。
以下、かなり長いが大変貴重な見識だと思うので引用する。
認知症カフェという場所があります。認知症カフェは、ヨーロッパで始まったスタイルを取り入れて、認知症の人と家族を支援することを目的に、2012年から国の認知症施策の一つとして普及が始まった場所です。
認知症の人や家族、地域の人たちが気軽に集い、悩みを共有し合いながら、専門職に相談もできる場所になっています。認知症カフェはカフェという自由な雰囲気の中で、支える人と支えられる人という隔たりをなくして、地域の人たちが自然と集まれる場所だと言われています。
しかし実際には、必ずしもそうした場所にはなっていません。
(中略)
このような、家族の相談が主体の認知症カフェに、当事者が一緒に参加しても、そこは家族がつらさを分かち合う場であり、家族中心で話が進められるから、当事者の居場所はありません。
なぜ、このようなことを例にしたかというと、認知症カフェの話をしても「当事者が来ない」と言っている主催者が多いからです。
「認知症カフェに当事者が行かない理由」、それはカフェに行っても面白くないからです。(本書40ページ)
家族は、隣に当事者がいるのに「この人がいると目が離せないので私の時間が全然なくなりました」など、自分の気持ちだけを吐き出すことがあります。
そのような時、当事者は嫌な気持ちにしかなりません。また、当事者が話をする前に「何年前に認知症と診断され、現在は何歳です」など自己紹介まで家族がしてしまい、当が話をすると「それ違うでしょ」と否定されることがあります。
そんな「場」へ当事者が行きたいと思うはずがありません。
(中略)
家族は「悪いことは言っていない、本当のことを言っているのだから」と思っているはずです。でも当事者のことを思って話をしていることが、当事者を傷つけている場合もあります。そして、家族でもそのことに思いがいたらない人が多いのです。
(中略)
また、支援者自身も自分自身のことも話して欲しいのです。
病気や家族関係に関する一方的な質問、例えば「いつ診断されたの?」とか「何か困っていることはありますか?」等の質問をずっとされると「尋問」のように感じてしまい、話をしたくなくなります。当事者も「尋問」ではなく「会話」をしたいのです。(本書40ページ)
確かに当事者によかれと思って家族はあれこれと世話したり、禁止したりするが、実際にはプライドもある普通の大人であり、家族の一員であることを忘れてはならないと思う。
認知症についての家族や医師の意見だけでなく、当事者の声が伝わるメディアが世に出るようになったことに社会の変化を感じる。
『誤作動する脳』樋口直美
筆者は40代でうつ病と診断されるが50歳になってレビー小体型認知症と診断される。それ以降、症状と不安とをなだめすかしながら共存している。本書は認知症当事者としてこの世界をどう見ており、どう生きているのかという貴重なレポートである。
異音、幻視、記憶喪失、時間感覚異常、匂い・味覚の喪失など認知症の症状はいろいろあるが、本書では当事者としてどんなときにあるのか、どのように見えるのかを克明に報告してくれている。
私が最初に”人”を見たのは、元気で活動的だった三十代の終わりでした(うつ病と誤診されたのは四一歳レビー小体型認知症と診断されたのは五〇歳です)。
私はそのころ毎週二日、趣味の運動をするために、夜、車で出掛けていました。たっぷり汗をかいて気分よく戻り、車を集合住宅の定位置にバックで駐車します。ピタッと停めた瞬間、心臓が止まりそうになりました。右隣の車の助手席に中年の女性が前を見据えて座っているのです。思わず声を上げそうになった瞬間、女性はパッと消えました。
「えっ、今のは何?」いくら見てもその女性が消えた助手席は空っぽで、人間と見間違えそうな荷物もありません。ヘッドレストも、カバーなしのシンプルなものです。でも、さっきは確かに女性が座っていて、その女性は透けてもぼやけてもいませんでしたし、顔もくっきりと見えました。中肉中背で、髪は肩までの長さでした。
とはいえ、本当の”人”とも少し違っていたのです。本当の”人”であれば、そこに座っている目的が自然に伝わるはずです。家族を待っているとか、車に落とした物を探しに来たとか……。その女性は、無表情に、ただじっと正面を見据えていました。その佇まいは、夜の駐車場の車の中では不自然でした。
何だったのだろうと考えましたが、見えていた時間はとても短く、消え方は目の錯覚と同じです。「こんな気持ちの悪い目の錯覚もあるんだな・・・・・・」とそのときは思いました。(本書59ページ)
特に衝撃的なのは最初に異常を感じた36歳のときに投薬された薬物に過敏症らしき症状があらわれ、41歳になって精神科を受診してから認知症と診断されるまでの5年間の苦しみ。
その間、医者にはうつ病と診断され、間違った薬物治療を受け続けた。中学生だった子どもたちが大学生と高校生になるこの時期に思い出せることは何もなく、楽しかった思い出は何もないという。
心や感覚に関わる病の治療の危うさを思い知った。家族や医師の声ではなく、当事者の声をこうして直接伝えるメディアがあることは進歩とは言えるのだろうが。
映画『NOMADLAND』Amazon Prime
高齢者のファーンが夫と暮らしていた街は主要産業である炭鉱が閉鎖になり、街そのものが消滅した。ほどなくして夫が死去。ファーンは社宅である家を失うことにもなり、やがて自分のヴァンで生活することを余儀なくされる。
ファーンはヴァンで寝起きして近所のアマゾンの集配工場に勤務することに。しかし、それは季節勤務のため、そこでの仕事が終わると別の仕事を求め各地を転々とすることになった。
映画は過酷なヴァンでの生活を克明に描き、また路上で知り合った人々との出会いを描くものである。過度な感情表現やストーリーの転換がほとんどない、淡々としたドキュメンタリー風味の映画。米国各地の厳しいが美しい自然や、人々の関わりをとらえた抒情的な映像が印象的だ。
しかし、私はこの映画は現代的な問題意識へも着地することが出来たのにしなかった点に不満が残った。
アマゾン労働者の過酷な労働条件が問題になり、組合活動が活発になりつつあると聞くが、この映画では一切触れられない。工場の労働者はひとり残らず幸せそうである。
また、高齢者が家を失い車上生活を余儀なくされることは社会問題だと考えるが、この映画にはそこに批判的な視点がない。逆に「ノマドはどこにでも行けるし、自由に生きることができる。私たちは幸運な者たち」というセリフがある。
それでいいんだろうか。うがった見方をすれば業界の実力者を批判することはできないということか。実際にこの映画を見たのはAmazon Prime Videoであった。
米国には昔から自由な暮らし、路上の生活に憧れる文化があった。西部開拓期、季節労働者、ケルアックの「路上」もそうだった。
それは経済活動に明け暮れる毎日を過ごす現代人による、憧れとして空想されるものであるのだろう。「持つ者」ほどそうした「何も持たない」ことにロマンチックな憧れが募るものだ。
しかし、現実には車上からIT企業に勤務する者が膨大にいるというカルフォルニア州のように、住宅問題は政治が解決しなければならない社会問題である。
そして私は、ノマドの暮らしをノスタルジアと叙情で描くことで良しとし、これを多くの人々が喝采して受け入れていることに、米国社会の分断を見てしまうのだ。
これを見て人々が「ふざけるな」「こんなものじゃない」という声をこそ聞きたいのだ。
私はこの映画のもうひとつの着地点が見てみたかった。ケン・ローチの映画が無性に見たくなった。
『認知症世界の歩き方』筧裕介
認知症の人はこんな事をするとか、こんな事を言うとかの本は沢山ある。しかし、この本は認知症の人には世界がこう見える、と教えてくれる。
「こんなことがありました」「気持ち悪いのでこのようにして過ごしております」など当事者への取材に基づいたモノローグを多用し、認知症の方がこの世界を旅する様子を伝えてくれる。
お風呂に入りたがらない。同じ服を着るようになった。それは当人にとってみればもっともな理由があることだし、理由が分かればさてどうしようかと家族も考えることができる。
なのでこの本は認知症の方が身近にいる人、家族に認知症の方がいる人こそ読むべきものだと思った。
著者はライフデザインの専門家。伝えるのが難しいことを親しみやすいイラストや凝ったデザインでうまく伝えている。読者は最初から読む必要はなく、パラパラとめくって気になったところだけを拾い読みすればいい。
私も家族に認知症気味の高齢者がいる。これがあまりにも良い本なので関係者である私のきょうだいにも一冊ずつ送ることにした。「そろそろみんなも考えてくださいよ」というアピールになったと思う。
『筆録 日常対話 私と同性を愛する母と』ホアン・フイチェン
先日見たドキュメンタリー映画の監督による同名のエッセイ集。
台湾の貧しい地方で育ち、早くして結婚した母は夫からの暴力に苦しむことになった。そして幼い娘たちを連れての逃避行。
その母はレズビアンであり次々とパートナーを変えた。一方、父は娘である私(著者)には暴力と執拗な執着だけを記憶に残している。
また、本書では、妹について、家について、遠い存在であった親戚についてを思い出しつつ、これまでの人生を振り返っている。
私が特に興味深かったのは、この母が生きる糧とした台湾独自の葬儀文化、陣頭であり牽亡歌陣である。
台湾では葬儀の度に陣頭という死者を弔いあの世へ送り出すための儀式を執り行う。しかし、葬儀の儀式とはいえ日本人が想像するようなしんみりしたものではなく、にぎやかな音楽と踊りのある派手なものだ。
その民俗芸能を演ずるのが牽亡歌陣である。著者もこの牽亡歌陣に6歳から加わり演じてきた。以下にその映像がある。
今日ではすっかり衰退してしまったこの葬儀文化だが、本書には台湾の葬儀社の日常や葬儀の場の様子などが内部から克明に書いてあり、文化資料としては極めて貴重なものだと思う。
日本語でこれに関する資料はまず皆無ではないだろうか。その意味でも本書の日本語訳の意味は大きいと思う。
先日読んだ「私がホームレスだったころ」にもホームレスが出陣頭で稼ぐことがあると記されている。他国を理解するためには文化民俗への興味が必須であるとあらためて感じた。
『私がホームレスだったころ 台湾のソーシャルワーカーが支える未来への一歩』李玟萱(著), 台湾芒草心慈善協会/企画(編集), 橋本恭子(翻訳)
台湾・台北のホームレス事情を追ったルポ。前半でホームレス10名の人生を描き、後半では彼らを支援するソーシャルワーカー7名の声を聞き取った。
日本のホームレスもそうだが台湾でも事情は同じ。いろいろな人生があり、いろいろなルートをたどって路上にたどり着くのだということが分かる。
輝かしい人生のひと頃があり、誰もがちょっとしたきっかけで躓くものだ。それが分かればあちらとこちらは地続きで他人事とは思えない。
巻末にある「人間看板」「出陣頭」「玉蘭売り」など台湾のホームレスが主に従事する仕事、それから「ホームレスの家」の写真も興味深い。
また、中山徹(大阪府立大学名誉教授)の解説は、彼我のホームレス事情を実際面および制度面から分かりやすく解いておりよかった。
台湾には個人の住所を持たず、困窮して露頭に迷う人をさす言葉がいくつもある。行政および法律の条文では「遊民(ヨウミン)」が一般的だが、NGOでは「街友(チエヨウ)」を使用する傾向があり、一般市民からは「流浪漢(リュウランハン)」「流浪仔(リュウランザイ)」とも呼ばれている。いずれも路上生活者を意味する。
映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』
有名なニューヨーク公共図書館の内側と外側を追ったフレデリック・ワイズマン監督作のドキュメンタリー。
同監督の『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』でもそうだったが、この映画でも一切のキャプションとナレーションを廃して、淡々と出来事と人々の会話をつなげるという構成。それで3時間25分を飽きさせない。
図書館とは言っても合計92施設、職員3,500人、50%が市からの補助、50%が一般からの寄付による予算によって運営されるこの施設の活動は多岐に渡っている。
収蔵資料の利用講座はもちろん、作家・アーティストのトーク、研究者講演会、読書会、コンサート。ゲストスピーカーにはエルビス・コステロやパティ・スミスもいた。その他にも詩人や作家、研究者らしいのがいたが私の知らない人だった。
また、多言語によるPC教室、高齢者のダンス教室、児童向けのロボットプログラミング講座から、就職フェア、アート展覧会もある。
さらには障害者向け福祉制度の案内、視覚障害者向け点字講座の様子もあった。
特筆すべきは通信会社と交渉し、同図書館の一般貸し出し用としてWiFiルーターを製品化しているなどの活動は、私の考える図書館職員の技能の粋を超えている。
舞台芸術図書館の舞台手話通訳教室の説明会の様子があった。ここでは手話通訳者がジェファーソンの独立宣言を使ってデモンストレーション。「あなたは怒りを持ってこれを読んでください。もうひとりのあなたは懇願口調で」と朗読させ、それぞれの様子を交えて手話通訳する。
このエキスパートのテクニックもすごいが、こうしたプロの技術を伝える講座を図書館が主催しているのだ。彼らの芸術と福祉への意識の高さが垣間見えるカットだった。
キャプションがないので名前は不明だが、ある作家(研究者?)によるトークが興味深かった。中世のアフリカ・モスリムの宗教者と国王の対立が、ひいては米国の奴隷開放運動の素地になったとする主張だ。
知識人であったアフリカ・モスリムの僧侶たちが国王との対立で奴隷となり米国に売られた。そして米国に奴隷として渡った彼らが、奴隷制度は間違っているというモスリムの知識を広めたのだ。それは南北戦争よりはるか以前のことだったという。
内容はもちろん興味深いのだが、こうした知識が公共の図書館という場所でフリーアクセスになっていること自体が素晴らしい。
また、別の連続講座の講師は若い有色人種の女性。テーマは米国建国当時の労働者問題と奴隷制度について。マルクスを引用し「そもそも米国に労働者問題は存在しません。それは奴隷制度があるからです。黒人奴隷がいるかぎり権利をふりかざす労働者は置き換え可能なのです」と語る。
きわめて刺激的な議論が自由に、かつ手際よく行われている。参加者は学生らしい者もいるが高齢者も多い。みな熱心にメモを取りながら聞いている。これも図書館が主催している知へのオープンアクセスなのだ。
また、たぶんハーレムあたりのごく小さな分館でのコミュニティトークの様子があった。ごく小さな部屋に普通の市民が集って、何を語るかと言えば生活の苦労などについてざっくばらんに。しかも、そのローカルトークには図書館の上級役員が参加しているのだ。
私も何度も経験しているが、こんなとき日本ではひな壇を用意してそこに行政の担当者を据えるか、会議机をロの字型に設置して、どちらもかしこまって話をするというのが多いのだが、このカットでは本当に狭い部屋にまさに膝を突き合わせてという状態なのだ。
参加者のひとりが言う。
「マグロウヒルは本当にひどい」
「それはどういうこと、もう少し説明して」
「マグロウヒルの教科書では、黒人奴隷は17世紀によりよい生活を求めてアメリカに渡ってきた『労働者』であると書いてある。それは間違いであると指摘されるとしぶしぶ対応するが、そうでないと放置だ」
こうした議論にその上級役員が同意しつつ真摯に自分の意見を述べる。それはコミュニティトークのあるべき形で、私にはちょっとした感動であった。
その他に館内の役員ミーティングの議論が何度も淡々と撮影されている。ミーティングのテーマは成果、予算、蔵書の方向(ベストセラーか研究書籍か)、電子書籍について、行政へのアピールについてなど多岐に渡っている。
この役員たちを見て思うのは、みな行政のプロだということだ。
カーネギーの意思である「知のアクセスを可能な限り広く一般に」というミッションに基づき、どう予算を獲得し、どう効果的に執行するのかということを熟知している。それはビジネスマインドと社会的ミッションの幸福な結びつきであると思う。
ということでこの巨大図書館の活動には圧倒されることが多いのだが、一方で「図書館がこんなに何でも手がけるのは行政サービスとして適切なのだろうか」という疑問も浮かぶ。
自分の住んでいる地域だったらどうだろう。
上記にあるような活動は、区役所の広報誌あるいは区のスポーツ文化事業担当外郭団体の広報誌に案内がある。区で活動する団体はこれに自分のイベントを掲載し、イベントに参加する者はその外郭団体かあるいは団体に直接申し込みすることになる。
アーティスト・トークは区の市民団体の主催で市から助成や後援を受けて文化センターで行うのだろう。障害者支援は区の福祉施設で、就職フェアは民間企業・団体の活動に区の事業課が協賛するのだろう。子ども向け講座はNPOが地域センターで主催し、それを市民活動課が後援する。
いずれにしても縦割りである。これまで疑問を感じたことはなかったが、文化支援活動と障害者福祉と児童福祉、ビジネス振興を別個に行うことは本当に適切なのかという疑問がこの映画を見て生じた。
決してニューヨーク市のやり方がベストであるとは言わない。
一方で集中することによる危うさも思い浮かぶ。常にオルタナティブについて考える必要はあるのだろう。また、もしかするとニューヨーク市ではそれぞれの分野の活動もそれなりの規模で行われているのかもしれない。
しかし、上記の活動が「知のアクセスを可能な限り広く一般に」というひとつのミッションに基づいてサービスを展開しているという点は高く評価できる。
いずれにしても本作は行政サービスのあり方を考える上で貴重な資料となるドキュメンタリーであると思う。
映画『日常対話』
自分が母に愛されていないのではという不安から逃れられない娘。そのことを話し合うために彼女は映画を作ることにした。そういうドキュメンタリー映画。台湾から。
「アヒルの子」「ぼけますから、よろしくお願いします。」など、娘がカメラを家族内に持ち込んで作る作品は今日ではドキュメンタリー映画のジャンルとなっている。
この映画でもレズビアン、ギャンブル好き、娘に無関心な母、その母へ複雑な感情を持ちながらも愛を求める娘、それぞれの内面の葛藤が見事に浮かび上がっている。
なぜレズビアンなのに子どもを産むことになったのか。なぜ娘である私を他人には養子と言っているのか。そして、娘と父の「関係」を知っていたのか、知らなかったのか。
母娘の関係でありながら話し合われることのなかった事が、カメラの前でつぶやくように初めて言葉にされる。
そうしたこの映画のテーマはもちろん素晴らしいが、映像がまた素晴らしい。侯孝賢が製作総指揮とあり、圧倒の映像美である。思えば「台湾、街かどの人形劇」も父子関係の葛藤を美しい映像で描いた作品だった。
母と娘の対話シーンでは照明は自然光か限りなくそれに模したもの。そして、クリアで自然な映像のカメラが母のアップ、娘のアップ、ふたりのロングで切り替えされる。音声も劇映画のようなクリアな録音で音楽もかなり控えめ。
これは技術も時間もかけているプロの仕事だ。手持ちカメラで勢いだけで作っている日本のドキュメンタリー映画とはかなり違う。
それに出演者の覚悟も大したものである。ドキュメンタリーだからもちろん一般人が自分についてしゃべるのだが、そうした準備の整った撮影現場でスタッフに囲まれても堂々としている。語ることは自分の過去や家族の不幸な出来事についてなのに。
そうした母のかたくなな態度、そして娘の固い意思は、まるでスクリーンのこちら側にいる(映画を観る)者と対峙するかのようだった。こうした表情は日本の家族ドキュメンタリーにはまず見られないのではないか。
「アヒルの子」では映画公開についての家族の同意を得るために6年間かかったらしいが、この映画では双方納得してカメラの前に立っているように思う。
ところで、母がレズビアンであることを母の弟や親戚に聞くシーンがある。いずれも「知らない」「話したくない」と席を立つのだが、当時は同性愛が許されなかった時代であったことをうかがわせる。
同性婚自由化が法制化した今日の台湾だが、わずか40年前にもそうした時代があったのだ。私はこの急激な変化に「ダイバーシティを維持する」という台湾社会の強い意志を感じるのだ。
どうして台湾にはそれができて日本ではできないのか。それを考えなくてはならないと思った。
台湾で同性婚が可能になった初年である昨年の同性婚の件数が2939組に上ったことが明らかになりました。内政部(内務省)が(2020年)2月22日、最新の統計を発表したものです。性別の内訳は、男性カップルが928組で、女性カップルが2011組(約68.4%)となりました。
(中略)
全体の婚姻件数は13万4524組で、同性婚が占める割合は約2.2%ですが、同性婚法が施行された5月24日以降(約7ヶ月間)で2939組ですから、決して少なくない数と言えるのではないでしょうか。(PRIDE JAPANコラムより)https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/news/2020/2/26.html