映画『残穢【ざんえ】−住んではいけない部屋−』
本来ホラーではないのでとってつけたエンディングはムダ。地味な竹内結子と橋本愛ちゃんを鑑賞するための映画。
それにしても炭鉱事故の被害者が炭鉱主を恨んでという因果はよくみかける。
その度に膨大な兵士を南洋やビルマで無駄な死に追いやり、シベリアに送り込んだ旧軍高級参謀がなぜ呪われないのだろう、なぜのうのうとした余生を送ったのだろうと思う。
アート系イベントへのお出かけとみた映画、読んだ本の記録です。
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映画『残穢【ざんえ】−住んではいけない部屋−』
本来ホラーではないのでとってつけたエンディングはムダ。地味な竹内結子と橋本愛ちゃんを鑑賞するための映画。
それにしても炭鉱事故の被害者が炭鉱主を恨んでという因果はよくみかける。
その度に膨大な兵士を南洋やビルマで無駄な死に追いやり、シベリアに送り込んだ旧軍高級参謀がなぜ呪われないのだろう、なぜのうのうとした余生を送ったのだろうと思う。
映画「SHARING」
久しぶりに誰かの解釈や解説がちっとも意味を持たないという素晴らしい映画に出会った。
これは誰かの評判を聞いて見に行くものではなく、誰かの批評を聞いて納得するものでもない。自分で納得するまで考えて判断しなくてはならない映画。5年前に起きて、まだ継続していあの事件のように。だから、これは現代の日本社会が本当に必要とする物語だ。
物語としてはホラー風味の心理劇と言えるかもしれない。
3.11で恋人を失った心理学の大学講師と、被災者の記憶を伝える芝居を作ろうとする大学生が物語の中心なのだが、心に闇を抱えた爆弾魔の青年や、記憶から蘇った講師の恋人などが絡まり合って複雑なストーリーが進行していく。
また、現在と過去と未来、夢と現実が鋭いカットで入れ替わって、希望と破滅が交錯するラストシーンまで油断してみていることが出来ない。
特に恋人が流されたことを受け入れがたい講師と、自分では被災経験がないのにその記憶に憑依される学生のダイアログは、セリフとはウラハラな心のありようが緊張感あふれる切り返しのカットで表現されておりすばらしい。
破滅と希望、記憶と願望、夢と現実、過去と未来など、相反するさまざまな事象がモチーフになっているのだが、その中でも個人的な精神の回復と回復不可能な原発事故をめぐる不条理が最も大きな対立の構図となって物語は終わる。
当初、めまいがするような構成に、これは劇映画として収まるのかと心配になったが、俳優の熱演もあって、最後は手際よくまとまって感動的。
ということで、まぐれもなく傑作なのだが、タイトルが印象に残らなくて損していると思う。また、ポスターのビジュアルもこの映画の魅力を伝えているとは思えない。そこが残念。
映画「さとにきたらええやん」
大阪、釜ヶ崎にある「こどもの里」という児童施設を舞台にしたドキュメンタリー映画。
この施設は「(大人でも子どもでも)誰でも利用できます」「子どもたちの遊び場です」「利用料はいりません」とあって、補助金や寄付金だけで運営をしているとしたらすごい。
映画は監督が自分で撮影し、インタビューの聞き手もしているらしい。本人の姿こそ画面に映らないが映画全編に制作者の影が濃い。監督が対象に寄り添いすぎている印象が強くて好きになれなかった。
この施設はお泊まりも可という。それで経済的・精神的に子どもを育てられない母親の娘をずっとあずかっている。そして、たぶん施設長の発案で、その子を含む利用者の児童にホームレス支援の夜廻させるシーンがある。
それはそれで意義のあることなのだろうが、私にはあの子たちには「私はそんなことしたくない」と言うことは出来ないのではないかと思った。
この映画にある大阪の下町の子どもと大人の泣いたり笑ったりの日常は、それなりに美しいのだが、私はこの施設の日常に馴染めない子どもが、この地域にはいるのではないかと気になった。
ドキュメンタリーは対象への距離が大事なのだと思う。対象から遠くてはもちろんつまらない映画になるが、近づきすぎてもいけないのだ。
監督は「こどもの里」に来ない子どもにもカメラを向けることができればよかったのにと思った。
映画「逃げ遅れる人々」
千葉市で行われたドキュメンタリー映画「逃げ遅れる人々」の上映会と、その監督と障がい当事者とのトークイベントに行ってきた。
映画は311のときの障がい者の状況をインタビューしたもの。障がい者を支援するため、全国の当事者団体によっていち早く設置された「東北関東大震災障害者救援本部」の依頼で制作された。
障がい者と避難所については衝撃的な発言がいくつもあった。
子どもの発達障がいを心配する母親は子どもを連れて避難所に行けなかった、行く気にならなかったので破損した家に住み続けたという。
また、避難所にはベッドがなかったのでトイレのことを考え、2週間も車いすに座り続けた障がい者がいた。
避難所から出て行ってくれと言われた障がい者もいた。彼女は破損した自宅に戻ったが、食料配給などの情報がなく、あっても取りに行くことが出来なかったという。
すべての障がい者が「自宅がいちばんいい」と言っている。彼らの環境変化への耐性の低さがまざまざとわかる。
その自宅を失って全国に居場所を求めてさまよう障がい者もいた。
これは災害時に取り残される障がい者の声のアーカイブとして、価値のある映画だと思う。
一方で、障がい者ボランティアの被災地派遣という取り組みも興味深かった。原発規制に避難計画がないということの問題の大きさをあらためて認識した。原発規制委員会は避難計画策定にも責任を持ち、策定にあたっては障がい者の視点が必須だろう。
ところで、イベントの主催者である「アクセスデザイニング訪問介護事業所」の代表は筋ジストロフィーの青年である。
彼と監督のトークも、当時大学生だった彼の体験も興味深かったが、私の後ろに座っていた代表の父親の朴訥とした話も胸を打った。
進行性の病気を持った息子を持つ父の気持ちとはどんなものか。私には到底理解できるものではないが、長い月日の心情が少しだけ伝わってきた。
帰りがけに車いすの方とちょっと話したが、進行性の病気を持っていても団体の代表をつとめ、こうしたイベントをやっている姿を見て勇気づけられた。それだけでも今日は来た価値があったと言っていた。
障がい者の価値ってなんだろう、と問う人がいる。私は「ただいる」こと、「それが見える」ことが社会にとっての価値なのだと思う。この社会・世の中は、障がいを持っている人が、普通に暮らせる、普通に幸福を追求できるところなのだと証明するために。だからこそ国や国民は彼らを支援しなければならないのだと思う。
それが「福祉」という言葉の意味だったのだ。それが社会的包摂という意味なのだ、と実感した夜だった。
いい女感満載のシンガーソングライター、シェリル・クロウの名曲。いろいろあって苦労している女性に、それでも大丈夫、やってみなよという応援歌。
環境問題で大企業から勝利を勝ち取ったシングルマザーをジュリア・ロバーツが演じた映画、「エリン・ブロコビッチ」でも使われていた。
Every Day Is A Winding Road – Sheryl Crow
I hitched a ride with a vending machine repair man
He says he’s been down this road more than twice
He was high on intellectualism
I’ve never been there but the brochure looks nice
Jump in, let’s go
Lay back, enjoy the show
Everybody gets high, everybody gets low,
These are the days when anything goes
[Chorus]
Everyday is a winding road
I get a little bit closer
Everyday is a faded sign
I get a little bit closer to feeling fine
He’s got a daughter he calls Easter
She was born on a Tuesday night
I’m just wondering why I feel so all alone
Why I’m a stranger in my own life
Jump in, let’s go
Lay back, enjoy the show
Everybody gets high, everybody gets low
These are the days when anything goes
[Chorus]
Everyday is a winding road
I get a little bit closer
Everyday is a faded sign
I get a little bit closer to feeling fine
I’ve been swimming in a sea of anarchy
I’ve been living on coffee and nicotine
I’ve been wondering if all the things I’ve seen
Were ever real, were ever really happening
[Chorus]
たまたま自販機の修理屋さんがいて
そのクルマに乗っけてもらったんだけど
その修理屋さんは2〜3回はこの路を通ったことがあるって
ちょっと意外と賢そうな人だったな
「そこまでは行ったことはないけど、カタログではいい感じだね」って
よしっ、いっちょやるか
リラックスして楽しんでみよう
いい時があれば悪い時もある
何でもうまくいくって時だってあるもの
まわり道の毎日だけど、少しずつ前に進んでる
まだ信号はチカチカしてるけど
ちょっとずつでも気持ちのいい毎日に近づいていると思う
修理屋さんの娘はエスター、火曜日生まれだって
それはちょうど孤独な気分だったとき
なんで私はいつも一人ぼっちになっちゃうんだろって思ってたときだったから
よしっ、いっちょやるか
リラックスして楽しんでみよう
いい時があれば悪い時もある
何でもうまくいくって時だってあるもの
まわり道の毎日だけど、少しずつ前に進んでる
まだ信号はチカチカしてるけど
ちょっとずつでも気持ちのいい毎日に近づいていると思う
無秩序の海を泳ぐような毎日も
コーヒーとタバコにまみれた日々のことも
そのすべてにも何かの意味があるって思えるようになりたいなあ
「The Gambler」Kenny Rogers|歌詞日本語訳
ケニー・ロジャーズは、知的で、頑固で、有名でも金持ちでもないけど人生に自信があって、揺るぎない大人のイメージがありました。当時からそんな風にカッコいい大人で、自分もいつかあんなオヤジになりたいと思っていました。
この曲ではケニーがいまは落ちぶれたギャンブラーになって、夜行列車でたまたま同席した若者(この若者も人生に迷っている時期なのでしょう)に、そのウイスキーをひとくちくれればアドバイスしてあげるよ…と声をかけるのです。
そのアドバイスは、おおむね退屈な年寄りのたわごとなのですが、それに意味を見出すのもこちらの勝手。何かがカチリと音を立てるのが聞こえるようです。素晴らしい人生応援歌。私もこんなふうに意味ありげな言葉で若者にくだを巻きたい。
ケニー・ロジャーズのトリビュートライブの映像を見ると米国人がこの曲をみんなくちずさんでいて、心の歌としていることがうかがえました。
The Gambler – Kenny Rogers
On a warm summer’s eve
On a train bound for nowhere
I met up with the gambler
We were both too tired to sleep
So we took turns a-starin’
Out the window at the darkness
The boredom overtook us,
And he began to speak
He said, “Son, I’ve made a life
Out of readin’ people’s faces
Knowin’ what the cards were
By the way they held their eyes
So if you don’t mind me sayin’
I can see you’re out of aces
For a taste of your whiskey
I’ll give you some advice”
So I handed him my bottle
And he drank down my last swallow
Then he bummed a cigarette
And asked me for a light
And the night got deathly quiet
And his face lost all expression
He said, “If you’re gonna play the game, boy
You gotta learn to play it right
You’ve got to know when to hold ‘em
Know when to fold ‘em
Know when to walk away
And know when to run
You never count your money
When you’re sittin’ at the table
There’ll be time enough for counting
When the dealin’s done
Every gambler knows
That the secret to survivin’
Is knowin’ what to throw away
And knowin’ what to keep
‘Cause every hand’s a winner
And every hand’s a loser
And the best that you can hope for is to die
In your sleep
And when he finished speakin’
He turned back toward the window
Crushed out his cigarette
And faded off to sleep
And somewhere in the darkness
The gambler he broke even
But in his final words
I found an ace that I could keep
You’ve got to know when to hold ‘em
Know when to fold ‘em
Know when to walk away
And know when to run
You never count your money
When you’re sittin’ at the table
There’ll be time enough for countin’
When the dealin’s done
You’ve got to know when to hold ‘em (when to hold ‘em)
Know when to fold ‘em (when to fold ‘em)
Know when to walk away
And know when to run
You never count your money
When you’re sittin’ at the table
There’ll be time enough for countin’
When the dealin’s done
You’ve got to know when to hold ‘em
Know when to fold ‘em
Know when to walk away
And know when to run
You never count your money
When you’re sittin’ at the table
There’ll be time enough for countin’
When the dealin’s done
ザ・ギャンブラー
あのギャンブラーと出会ったのは夜行列車だった。
暑くて寝苦しい夜で眠れないのはお互いさま。
暗い車窓を眺めているとあの男がしゃべりだした。
俺は人の顔を見て生きてきたようなものさ。
相手の目を見りゃどんなカードが手の内か分かる。
言っちゃ悪いが、あんたの手にはエースがないね。
そのウイスキーを一口よこしなよ。
ボトルを渡すと彼は最後の一口を飲み干した。
葉巻をくわえて火をつけると、彼はたちどころに表情をなくした。
それは限りなく深い夜だった。男は言った、
勝負に勝ちたいならやり方を覚えなくちゃな。
いつまで我慢するべきか、降りるのはいつにするか。
席を立つのはいつにするか、逃げ出すならどっちか。
テーブルにいるときはチップを数えるな。
勝負が終わってからなら時間はいくらでもある。
ギャンブラーなら誰でも生き残るすべを知っている。
どのカードを捨てて、どれを残すのか。
どんなひどい手でも勝つことがある、どんなに良くても負けるときもある。
だから俺たちはベッドで死ねれば本望なのさ。
話し飽きるとギャンブラーは葉巻を消して背を向けた。
そして俺は車窓の闇夜のどこかで潮目が変わる音を聞いた。
ギャンブラーの最後の言葉。それが俺のエースなんだと気づいたときだ。
いつまで我慢するべきか、降りるのはいつにするか。
席を立つのはいつにするか、逃げ出すならどっちか。
テーブルにいるときはチップを数えるな。
勝負が終わってからなら時間はいくらでもある。
いつまで我慢するべきか、降りるのはいつにするか。
席を立つのはいつにするか、逃げ出すならどっちか。
テーブルにいるときはチップを数えるな。
勝負が終わってからなら時間はいくらでもある。
ギャンブラーなら誰でも生き残るすべを知っている。
どのカードを捨てて、どれを残すのか。
どんなひどい手でも勝つことがある、どんなに良くても負けるもある。
だから俺たちはベッドで死ねれば本望なのさ。
映画「首相官邸の前で」
2011年から広がった脱原発デモの当事者にあたったドキュメンタリー映画。大作「1968」で全共闘運動の時代をとらえた小熊英二による初監督作品。
しかし、ドキュメンタリー映画としてはかなり一面的で、広がりに欠けるものだった。映画は脱原発デモのオルガナイザーたちの活動と、デモの映像が中心なのだが、そこには周辺からの視点がない。デモにはそれを遠巻きに眺めている視線があるはずなのだが、この当事者たちはそれに気づかないようである。あるいは映画はそれを捉えていない。
映画が優れたメディアであるためには開かれたものであるべきではないか。映画であれば何を写し、どのくらい映しているかでどのくらい開かれているかわかる。この映画には、デモの熱狂と満足感だけがあった。そのせいで、脱原発デモそのものに懐疑的な私にはむしろ拒否感さえ湧いてきた。
例えばこのオルガナイザーたちがふだん何をしているのか。家族はどう思っているのかなどを差し込めば視線の広がりが出たと思うのだが。あるいは、デモの参加者が家に帰ってどうしたかを追ったらどうだったろう。
また、クライマックスとも言える国会前デモのシーンでは音楽をなくし、シュプレヒコールと喧騒だけで表現している。こうした表現手法はドキュメンタリー映画としては陳腐である。ドキュメンタリー作家は、「こう感じてください」という意識を可能な限り排除するべきである。
それにしても、デモの熱狂はすごい。しかし、あらゆる「運動」のあとで何があったのか、歴史を知るものならば知っているだろう。
私はデモの参加者が自宅に帰って家族と、会社に行って同僚と、学校に行って仲間と、原発について気軽に話し合えるようにならなければ現実は変わらないと考えている。
上映後にトークシェアと称して観客が語り合う機会があった。結局、原発に関して同じ意見を持つものが同じ空間に集まっているようで息苦しかった。映画やデモ参加をきっかけに、薄く広くかつ継続した言論がもっと広がるといいと思った。
映画『遺言』原発さえなければ@武蔵大学
日曜日の武蔵大学・江古田キャンパスでの自主上映会。大きめの教室だったが意外と来場者が少ない。むしろ関係者の姿が目立っていた。
映画は飯舘村で畜産農家を営む数家族の、被災から3年間の密着ドキュメンタリー。原発からやや離れていたため放射能汚染について詳しく知らされずに過ごした1ヶ月間。乳牛を手放し仮設住宅に移ってからの1年間。畜産農家仲間の自死。そして、パイロット牧場の試みの始まりまでを描いている。
1部と2部、休憩をはさんで合計4時間という長さだが、ちっともそう感じなかった。それは次々と起こる事態に引き込まれたからでもあるが、一番の理由は登場する飯館村の人々が魅力的だからである。
どうして、たまたま原発事故被害にあった人々があのように魅力的であったのか。また、どうして、この映画作家たちが、たまたまこの人々に巡りあったのか。天の配剤という言葉を思う。作られるべくして作られたこれは名作である。
しかし、だからこそ事故以前の映像があったらと、ないものねだりもしてみたくなる。
原発事故と被災、避難は非日常である。非日常は日常の中に放り込まれてこそ際立つ。これは劇映画であってもいいのでは、と思えた初めての原発ドキュメンタリー映画だった。
線量計のピーピーという音をバックグラウンドに映し出される田舎の景色は美しい。たとえ「今年は虫が出ない、(だから)トンボもいない」という、地元の人にとっては異質な景色であろうとも。また、大規模な畜産農業に否定的で、あくまでも数頭の乳牛を個人農家として経営するという心意気も美しい。
だが、監督のアフタートークによると、震災3年目のそうした景色も現在では除染土が覆われた黒いビニールが連なる景色になりつつあるという。また、私は近年の日本の農業を考えるにつけ、個人経営農家の将来に悲観的にならざるを得ない。
だから、この映画は、監督もそう言っていたように必要な記録なのだと思う。変化を余儀なくされた人間たち、失われた土地のある時間を記録した貴重な映像なのである。
映画「日本と原発」
全国の原発関連訴訟に関わる弁護士たちによる、脱原発ドキュメンタリー映画。
おおむねすべての原発問題のトピックスを網羅しており、しかもそれらをきわめて手際よく解説している。この映画を何回か見て、手元に資料があれば、すべての推進派の議論を論破できるのではないか。
その意味でこの映画は、これからの脱原発を考える上では必見の作品。原発映画のスタンダードの位置を得たと思う。
ただ、映画に登場するのは小出裕章、古賀茂明など名のある論客ばかり。被災者の声は一部にとどまる。上におおむねすべてのトピックスを網羅していると書いたが、唯一足りないのは地元経済の問題だと思う。
この映画にあるような高級な議論がありながら、川内原発の地元議会では再稼働が認められた。それはおそらく、地元では再稼働を是とする声のほうが大きかったということだろう。つまり、土建業は言うに及ばず、旅館、定食屋、商店など、原発で潤っている一般人は再稼働を求めているのである。
そもそも原発が立地したのは疲弊がすすむ地方である。つまり地方の疲弊、中央との格差というのは近代以降の日本の課題。原発以前からある問題である。そしてもし、原発がなくなってもその問題は残る。極論すれば、これを原発の問題に卑小化してはならないのではないか。
そうした地方の課題は、被災した人々の声をたんねんに拾い上げるといった素朴なドキュメンタリー映画を見るほうが伝わる。この映画はプロによるプロフェッショナルなものである。そのおかげで、素朴なドキュメンタリー映画の価値をも再照射することにもなった。
大きな会場で、500人くらいは入っていたように見えた。すごい動員力である。また、よくある脱原発イベントとは違ってスーツ姿の男性が多い。もしかしたら法曹関係者かもしれないと思った。
河合弁護士(監督)のアフタートークでは最後に飯舘村の歌で締め。役者が一枚上だなと思った。
映画「原発の町を追われて」
結局「脱原発」にしても「被災者へ適切な支援がされていない」にしても、主張がまずあって、それを伝えるために映像をつくるというドキュメンタリー映画はつまらない。それが「フタバから遠く離れて」だった。
それに対して、まず被災者と知り合いになり、会話を交わすようになり、その流れでカメラを回すようになる。それで、できた映像からある主張が浮かび上がってくる。そして、その主張は個人と社会という普遍的なテーマである。「原発の町を追われて」はそんな映画だった。
久しぶりに心の底に触れた映画だった。アフタートークで、「双葉の人たちは勝手にしゃべってくれる」って監督は言ってたけど、映像の表情を見てればわかる。こんなに心を開いて話をしてくれるのは、監督の個性のおかげだろう。避難民のひとりとは親友になったというエピソードもうなずける。
上映会は福音館書店の組合の主催で、会場は就業後の作業場らしきところ。参加は30人ほどと小規模だったが、気持ちのある人が声を掛けあって集まったというような温かく、濃密なイベントだった。
過去の上映会を見ると、カフェや公民館、個人住宅などで既に100回以上やっているらしい。おそらくどれもそんな雰囲気なのだろう。
それにしても避難所となった旧騎西高校では煮炊きができず、食事は弁当のみだったという。消防法が理由だろうが、せめて食事を自分で用意できるよう何とかできなかったのだろうか。
やることがあるのはごく一部で、他はぼんやりと一日を過ごすしかなかった、とも言っていた。精神の安定や喪失の回復にはつくずく仕事があることが必要なのだと思った。