「間違いだらけの少年H―銃後生活史の研究と手引き」山中恒・山中典子(辺境社)
批判の対象となっている「少年H」のアマゾンのレビューを見ると、本書について多く取り上げられている。こうして対になって取り上げられるのであれば、ベストセラーの影に隠れてしまうこの批判本にも日が当たることになるのだろう。
「少年H」が売れれば売れるほど、また映画化すればするほど、そのごく数パーセントがこの分厚い研究書に触れることになる。昭和初期の市民生活という地味な研究への導入にしては悪くない結果だ。
さて、本書の批判は、「少年H」がノンフィクション(事実)であるとうたいながら歴史的事実の捏造を行っているということ。そして、その捏造は全編にわたっており、とてつもない数であるということだ。
そして、そのとてつもない数の捏造を山中はひとつひとつ丁寧に検証している。
最も顕著な例は、ノモンハン事件、斎藤隆夫の反軍演説、ゾルゲ事件など、一般市民は戦後ないしは後年にしか知りえなかった事件を当時「親子で会話した」と書いてあることである。「一般人の親子がそのときそんなこと知ってるわけないないだろ!」というわけだ。
そもそも、日本人はあの戦争について、あれから膨大な時間と手間をかけて、記録や分析を行っている。中山の膨大な資料収集と戦前生活史研究もその一環である。
それはあの時代を理解し、きちんと記録することが日本人にとって重要であるとの認識が共有されているからだ。あの時代に死んでいった人々、苦しんだ人々のために。
それゆえ、あの時代を伝えるにあたっては真摯な態度が求められる。
この本(「少年H」)は、あの時代にそうありたかった少年の自分、そうありたかった自分の家族を描いているファンタジーにすぎない。しかし、「事実を捏造して」まで、あの時代に明るく冷静に生きていた私、そしてその家族がいましたという物語を描いているのであって、そこには真実をしっかりと伝えようという意志がない。
なので、この本が学校の推薦図書であることは大きな問題である。現代の児童・生徒に間違った戦前社会の事実を伝え、間違った印象を与えることになる。全国の教育委員会はさっそく取り消すべきだと思うし、妹尾は自ら辞退するべきだと思う。
それはともあれ、私が本書(「間違いだらけの…」)によって認識させられたのは、歴史とはディテールがすべてであるということだ。
昭和史の書籍や研究書を読むとき、大物中心の聞き語りや大きな事件についての記述がほとんどだ。そうして、数十年という時代のメルクマールをかいつまんでわかったつもりになっている。
しかし、年表の行間には膨大な人々の毎日の生活がある。人々の日々の営みという大河のところどころに、大事件というマーク、あるいはブイが浮かんでいるという映像で見ないと、時代を全体として認識できないのではないだろうか。
そして、この本で山中が積み重ねた膨大なディテール群が、その認識を豊かに裏付けてくれている。
「国民服」とは何となく知っている気になるが、素材はなんだったのだろうか。一般人は普通の服からどのようにして切り替えていったのか。色にはバリエーションがあったのか。
「赤紙」で知られる召集令状はどのようにして配布したのか。そして、それを配布する者はどのような立場だったのか。そもそも招集はどの立場の人にされるものなのか。
配給とはどのようなものが対象になったのか。実際にどこで配給されたのか。配給切符は誰がどのように一般家庭に配布したのか。
本書はあくまでもネタ本(「少年H」)に沿って項目を挙げて、逐次批判を加え実証をしていくのだが、いずれも、もはや揚げ足取りの範疇をはるかに超えている。新聞や政府広報、パンフレットなど膨大な公開資料からそれらの実態を明らかにしている。そして、フワフワとした言葉のイメージがみるみると確固とした形態をまとっていく。
そこには、そうした事柄をあいまいなイメージのままにしてはおかないという山中の決意を感じる。それが当時の「少国民」であり現在の文学者でもある彼の矜持なのだろう。一方で妹尾にはそうしたプライドがまったく感じられない。
さて、そうした批判を超えた調査の中でも特に優れているのが、当時のキリスト教団の合同をめぐる動きについてである。宗教団体法と治安維持法の改正を受けてキリスト教会各派がそれぞれ合同したことは知られているが、それにもかかわらず多くの迫害、弾圧を受けた。
この章で山中は特高警察の極秘資料からその弾圧についての資料を公開する。きわめて具体的な記述であり、小説や映画でのみ分かった気になっていた自分を恥ずかしく思うほどだ。
その一方でキリスト者の体制迎合があからさまになる文章も挙げられている。当時の日本基督教団統理者、富田満の特高による調査記録は国内の殉教精神の葛藤として読むべき価値がある。
この章は、はからずも「少年H」で自慢気にキリスト教徒だと自称するこの一家への痛烈な批判となっている。
ところで、戦費の調達を国債が担ったと言われているが、実際にそれがどのように販売されたのかについての記述も興味深い。
国債は日本勧業銀行をはじめとした各銀行や郵便局で販売されていたのだが、タバコ屋やデパートでも販売されていたのだ。
そして、さらに隣組が国債の販売の大きな担い手であった。配給などによって各家庭の生活に大きな影響を持つ隣組を通じて、国家が強制的に国債を買わせたのである。
隣組での国債の販売は割当制であり、2ヶ月に1度は定められた量を販売しなければならなかった。その割当量を消化するために隣組ではそろって内職をしてやりくりをしていたとの記録がある。
国債についての俳句があり、これが当時の生活の苦労を伝えている。
「北風に売らねばならぬ債券包み」(桂山郁二「樹海」1943年5月号)
もうひとつ短歌があり、この解説が当時の隣組とその構成員の心情を忍ばせている。解説を本書でぜひ読んでほしい。
「かたくなに債券買わぬ会員ありて電灯暗き常会終わりぬ」金子千鶴
敗戦とともに国債の価値が暴落し、ただの紙切れ同然になってしまったことは言うまでもない。