「ルポ 母子避難――消されゆく原発事故被害者」吉田千亜
福島第一原発事故は多くの避難者を生み出したが、中でも避難対象地区を外れても避難することを選んだ、いわゆる「自主避難者」も多い。本書はその自主避難者の家族とその深刻な課題を追った最新のルポである。
原発事故の避難者と言っても種類がある。政府が定めた帰宅困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域など、それぞれに応じて避難慰謝料等の保証金が定められる。上記の政府命令による区域の避難者以外には慰謝料は出ないか、きわめて少ない。
しかし、その区域の線引きは放射線量によって政府が定めるものであって、それに納得しない者もいる。それは特に妊婦や乳児、幼児のいる母親たちである。自分のいるこの場所は本当に安全なのか。子どもを産み、育てていくことができるのか。
それが無理だと考えた母親たちは、経済的支援がなくても避難を決心することになる。
それは過敏反応などど揶揄されることもあるが、彼女たちはもともとごく普通の母親たちである。彼女たちにそうした決心を強いることになったのは原発事故である。原発事故さえなければ今でも家族とともに慣れ親しんだ土地で暮らしていたことだろう。
そうして自主避難を選んだ家族は福島県だけで9,000世帯、25000人に及ぶという。
「自主避難」という言葉があるが、これは本当は自主的な避難ではない。普通の母親たちが突然強いられた決断であり、強いられた行動である。本書にはそうした決断をするにいたった多くの実例が挙げられており、いずれも胸を突かれるものである。
例えば、同じ避難者同士でも補償金額の違いによって心情的な対立が生まれる。避難先でも多くの保証金を得ていると思われているために土地の者との心のスレ違いがある。ましてや単身で残る夫との心のスレ違いも生じていく。
それと平行して本書では避難者を支援する体制の問題も指摘する。
例えば自主避難者への唯一の経済的支援は住宅費補助やあっせんなどの住宅支援であるが、これは2017年3月で打ち切られることが決まっている。一方で包括的に避難者の家族を保護する目的で可決された「子ども・被災者支援法」が実質的に施行されていないという問題もある。
避難者の支援には多くの課題があることは明らかだが、それを引き起こした根本原因の原発政策について多くの国民が納得の行く総括の必要があると思う。
つまり、原発事業は一度事故が起こればその処理にとてつもない金額が必要とされ、事業として引き合うものではないことを国民すべてが自覚するべきであろう。そうした国民の納得に上に、従来の原発推進政策を撤回し、全廃を国の方針とするべきである。
私は現行の避難者への保障内容を大幅に拡大するべきだが、同時に半永久的に小出しにすることも止めるべきと思う。
日本は原発事故によって貴重な国土を永久に失ったのだ。避難者には月度の保障をするのではなく、もう帰れないことを前提に別の土地で新たな生活を始めるのに十分な保証金を受け取ってもらうべきなのではないだろうか。
自主避難者についても適切な審査を制度化して、希望者には新生活の再開に十分な保証金を出すべきであろう。
保証金を継続的に小出しにするという現状が変えられないのは、政策担当者間で保証金の継続が原発政策の継続とセットになっているのではないかと危惧する。もう原発政策に見切りをつけるときが来ている。そのことを最も構造的に制度的にわかっているのも彼ら役人なのだとも思う。